その3 三日目朝〜夜


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時刻表('01/07/30)

志布志発
7:16
鹿児島交通バス
都城着
8:44
徒歩でリース会社へ着
10:15
サイクリング開始
10:20
岩川駅跡
12:45
リース会社へ戻る
14:20
西都城行きバスで最寄りバス停発
14:35 宮崎交通バス
都城駅
14:50
鹿児島交通バスターミナル発
15:30 鹿児島交通バス
志布志着
16:50

ノスタルジーを追いかけて

※ここの話は地理が分からないと困りますが、昔の地図を旅先の今取り込むことができないのであとまわしにしています。

昔、志布志は海の交通はもとより陸の交通の要衝としても知られていた。

  • 日南線…宮崎方面
  • 志布志線…都城方面
  • 大隅線…鹿屋(軍事基地)方面
これらが交わる一大ターミナルが志布志だったわけである。日豊本線が西鹿児島へ開通する以前から、この地域には鉄道網が敷かれていた。それだけの要衝だったわけだ。しかし、道路網の整備は非情にもそれらの線区の輸送力を完全に奪ってしまい、国鉄民営化の直前になって三線の廃止が決まったのである。

しかし、全部廃止されるのはさすがに大隅半島の過疎化を加速するから『日南線を残してくれ』という地元住民の声を聞いた国は、志布志ターミナルから日南線を除いたすべてのものを撤去して志布志駅の駅舎をとんでもなくしょぼいものに建て直し、「終着駅としてはかなり情けない無人駅(っていうかホーム&小屋)」として駅を生まれ変わらせたのだ(笑)。それが今の志布志駅。

さてさて、私が今回たどってみようとしているのは主に志布志線の廃線跡である。廃止になったのがそもそもJR発足直前だからまだ名残も多く残り、それに線路跡がサイクリングロードとして整備されているからである。

でも、まだ朝の5時

「駅寝」&「ミラ寝」明けの朝は意外にさわやかであった。ミラから志布志駅に向かい、駅のISDN公衆電話にパソコンを接続。早速レポートを提出しようとするが、テレカが減るばかりでプロバイダの認証が通らない。
くそ、アルファネットめ。アルファの認証サーバはすぐ止まるんですよ。しかし、このままでレポートが提出できないとちょっとダメージがあるなぁ。8/3までだから各地でトライするか。
…ということで、当然今日のホームページ更新も断念。「人魂」とか「駅寝」とか素敵なシチュエーションを分け合いたかったのにな。ぐすん。

悪戦苦闘していると、いつの間にか始発列車が出ていった。2両編成のキハ58+28に乗客は1人。まあ、いるだけマシである。

タクシー営業所(といっても駅の向かい)に戻ると、佐久耶、おっと変換ミス、咲耶、おっとこれも変換ミス。昨夜の運転手さんが出てきた。記念写真を撮って、私は時間つぶしに「大隅線廃線跡探検」に出発した。なにしろ始発バスまで1時間以上あるからね。やることといったらこれしかない。
大隅線の跡は、ターミナル跡からずっとのびる太い直線道路である。探すまでもない。あんまりおもしろくないな。カーブなどが鉄道用の設計になっているのは分かるけれど、それ以外の遺物はけっこう志布志から遠くに行かないとなさそうである。私は2kmぐらいあるいたが、道と「鉄道公園」しかなかった。「鉄道公園」は、志布志線と大隅線を記念して作られた公園。九州は廃線跡を慈しむよい文化(^^;)が息づいており、廃線跡の至る所に記念公園がある。

あぁ、余った地方交付税交付金のちょうどいいはけ口なのだろうな。

とか身もふたもないことをいってみたりして。だめだめ。合理的な思考で漢のロマンをとらえてはいけないのだ! マジで。

志布志高校・小学校はかなり立派な施設でこれは結構なことだが、その近くにある「運動公園」というのはすごい。野球場を中心にすさまじい施設がそろっている。

あぁ、地方交付税交付金が余って仕方ない年に作ったのか。それとも雇用拡大政策だったのか。

とかいってみたりして。まあ、これはロマンでも何でもないのでひがみつつ通り過ぎる。
朝食は地元のファミレスチェーン店で(名前が今思い出せないっ)。ここの店、旨くて安くて速い。注文してから10分で皿いっぱいの洋食(某口イヤルホス卜の1200円分くらい)が出てきて、おいしくて税込み480円。これは善の会社に違いない。

都城へ出発

始発バスの乗客は3人。まあまあであろう。ここから大隅半島の峠を越えて都城へ出るバス路線、すなわち志布志線の代行バスである。私はどこかに志布志線の片鱗はないかと目を凝らして前を見ていた。
しかし、みなさんも薄々ご存じだろうが鉄道と道路の山越えの仕方というのは全く違う。道路はとにかくジグザグに山肌を削って舗装して作るが、列車は急坂もヘアピンカーブもNG。そこで鉄道が通るところだけ切り通しを作ったり、土を盛って築堤にしたりして高さと勾配を調節しながら、緩いカーブと傾き、トンネルと橋で山を越える。だから、代行バス路線と鉄道の廃線跡は確かに近いのだが全く重ならないのだ。
しかし、途中のバス停は全部「〜駅前」となっていて郷愁をそそられた。もう鉄道なんてないのに。

山を普通に越えて、都城駅に到着。東能代のときもやったけど、時刻表で見ると「都城」って最大のフォントで書いてあるじゃないですか。でもね。駅を入ったとたんに券売機が2台と改札・みどりの窓口があるだけなんだよね(KIOSKとトイレと待合所も隣にあるけど)。券売機2台ってのがなぁ。わびしいなあ。
で、この理由も簡単。東能代と同じで都城駅自体は鉄道の要衝だけれど、町の中心部はむしろ「西都城」の方にあって、地元の人はそちらの町と宮崎交通バス(かなり頻繁に走っている)を使っているわけです。だから都城駅が寂れて見えるのね。

さて、ここから戦闘開始である。これから私は志布志線の廃線跡に作られたサイクリングロード「ウェルネスロード」を走ろうとしているわけだが、貸し自転車屋(っていうか、何でも貸してるリース会社)が都城には1つしかないのだ。そこは、駅から国道10号線を7km行った田園の彼方にあるのだ!!!

じゃあ歩こう(即断)。

駅員とリース会社の電話口の姉さんに「いや、ありえないでしょう」とか言われたが(苦笑)、「私の計算なら70分で歩けます」とかほざいて歩き始める。国道10号は門司から太平洋に沿って鹿児島まで通じる6車線の大動脈である。道の左右には、日本とは思えないような巨大なショッピングセンターと自動車のディーラー、レストランがひたすら並んでいる。これも駅から7,8km程度のところまでなんだが…。
ここは南国。ここの暑さは東京と違って、太陽に照らされたり、その照り返しにさらされると非っ常に暑い。東京は空気自体が暑くまとわりつくけれど、こちらでは太陽の暑さがほとんどを支配しているのだ。…ということで、陽光対策のために頸動脈を濡れタオルで覆い、サングラスをする。こうすればどうにかしのげるが、それでもまぶしい日差し。平地の6車線道路じゃしのぎようもない。ま、この太陽が魅力でもあるけどさ。

さて歩き始めて69分、予言したとおりの時間で到着した。青くそよぐ田園の真ん中の巨大な倉庫が目指すリース会社である。修学旅行用の「1号車…様」の旗から、野外ステージまで何でもレンタルする大規模な会社で、倉庫ではフォークリフトと大型トラックが動いていた。
自転車は意外に安く、一日乗り回して1000円であった。事務所で書類を書いていると、社訓が目に入る。

  • 仕事は自分で作れ。
  • 社員各人、智恵を出せ。
  • 智恵のないものは汗を出せ。
  • 智恵も汗も出ないものは、黙って去れ。
いいねぇ。簡単な字句の中に社会があらわれていて、身が引き締まる思いであった。

サイクリング開始!

志布志線は当然、都城から南の志布志へと延びる線。現在地は都城の北。すなわち、今70分かけて来た道を自転車で全部戻って、さらにその向こうのサイクリングロードを目指さなければならない。結局20分強でサイクリングロードの入り口に近いあたりまで来た。
さて、サイクリングロード(廃線跡)はどこだ?
すると、明らかに不自然な地形を見つけることができた。まわりが平地なのに、国道からの横道が、いったん下ってから登っていく。これはもともと志布志線の線路が道路の上を通って交差していた跡に違いない!(←意味、分かるよね)
だとしたら…と横を見ると、あった! 志布志線の築堤(盛土[もりど])である。「ウェルネスロード」という看板もあった。
「Wellness」は都城のキャッチフレーズらしい。電話ボックスからトイレから町の政策に至るまで「Wellness」を標榜しているらしいのである。まあ、それはいいや。

廃線跡を舗装して作ってあるウェルネスロードはここから末吉駅(後に掲載する地図参照)までの6.5kmコース。ここは、都城から台地を抜けて山の入り口へと徐々に登っていくコースだ。
末吉から先、「岩川駅」の先までは「末吉町マインドロード」となって続いている。これが9.8km。ここは先ほどバスで越えた峠を途中に挟むため、穏やかではあるが山間コースであり、ウェルネスロードとはまったく雰囲気が違う。
今回はこの両方を訪ねて岩川まで行き、帰ってくる計画である。

夏の線路と雲

築堤に登って、私は息をのんだ。「ああ、確かにこれは鉄道だ」
線路跡は、舗装しただけであとは何もしていない。キロポストも、カーブの曲率などを示す各種標識もだいたい残っている(信号はほとんどなくなっているけど)。見通しよく作られた線路(跡)は、町を望む高い築堤をまっすぐに走ってガーダー橋で川を越え、田圃の中へと入っていく。
ここ都城は、桜島の火山灰が堆積してできた「シラス台地」。水田・サツマイモ・トウモロコシ・茶栽培・牧牛などがよく行われる。

鉄路はまず、見渡す限りの水田と畑の中を直線で彼方へと抜けていった。地平線の彼方へと収束する一本の焼けた道、そのすぐ上に大きな雲ができている。視界を遮るものはなく、雲と空と強く照らされた緑の大地、それらを対称に分ける線路。自転車を止めて耳に入るのは、さざめく稲の葉音と、虫と鳥の声だけで。周りには誰もいなくて。そして突き刺さるような陽光が、世界の彩度を上げている。
どこまでも続きそうな雲と緑の世界、でもその先に何があるのか知りたくて、また私はペダルをこぎ始めるのだ。

「見渡す限り」というのはシラス台地が平坦だという意味ではない。シラス台地はむしろ起伏も多い。左右を見れば小さな丘が重なり合って広い台地を構成し。その向こうに高千穂の山が望める。

たまに、サイクリングロードは田舎道と交わる。踏切の名残である。大地の真ん中にぽつんと立って、雲の流れる蒼穹へとのびる「とまれみよ」の標識。私の琴線に触れた哀愁を、少しでも分かってもらえたらうれしいな。

しばらくして現れたのが一つ目の駅、「今町」。二面のホームがあり、それ以外に腕木式信号機とC12(タンク型SL)が記念でおいてあった。まあ、この駅でロマンを感じるところといえば、ホームの真ん中に階段がついているということかな。対向ホームに行くときは、線路に直接階段で下りるのだ。
あ、そうそう。たま〜に地元の子供達がずっと向こうから数人、帽子をかぶって道を歩いてきたりするのだが、これも風情があっていいね。ここで某「夏」ネタのゲームを持ち出すのも無粋だとは思うが(笑)、あの感じそのものだ。そういえばあれにも廃駅が出てきたな。

今町を過ぎ、たまに林の中を抜けながら(元)線路は高度を少しずつ上げ(これは行きには気づかなかった)、その後内陸の町「末吉」へと降りていった。鉄道が町へ降りていく雰囲気っていうのにも独特のものがあるよね。典型的なのは…そうだなあ、塩山〜甲府あたりか?(本当か?)

末吉でウェルネスロードはおしまい。しばらく行くと末吉駅がある。駅舎もほとんど当時そのままで保存してあり、「国鉄バス乗り換え」「名所案内」の朽ちかけた看板があったりした。また、「記念館(管理人に電話で頼まない限りは非公開)」として残っている駅内部では、当時から使われている大きな時計がまだ、正確な時を刻んでいた。列車がもはや来ない駅で時を刻み続ける時計。なんか、こう、切ないね。

末吉から先の「マインドロード」は打って変わって山間コースになる。築堤・切り通しの連続の合間に、谷間の清流やその近くに作られた狭い田を望むことができる。さっきの雄大な風景もそうだけど、日本人はむしろこういう「秘境」っぽい場所に魅力を感じるらしい。私もそうである。
とはいえ、山間なのでアップダウンがあり、なかなか景色を楽しんでもいられない。登坂2‰の坂ではキハ40の気分で「力行[りきこう]」し、下り坂ではマスコンを「ユルメ」に入れつつブレーキをチェックする。自ら気動車になった気分であった。

途中でサミット(峠の最高点)を越えたのだろうか、目的地の「岩川」の駅までずっと下り坂になる。このままだと下り坂をとばしていくだけで岩川に着けそうだ。
しかし! 先ほどから時間を気にしていた私だが、そろそろ戻らないとまずい。ここで下りを続けたらどうなるか。帰りの登りはさらに時間がかかる。すると帰りのバスに間に合わなくなる可能性があって非常にまずい。

嗚呼、しかしどうしようもなく浪漫がうずく。
結局浪漫にあらがえなかった私は、そのまま岩川へとかなりの速度で自転車をとばしていった。岩川駅は片面ホームが一面のみ。待合所(現:公民館?)とトイレがのこり、機関車の動輪が記念に保存されていた。とりあえず目的地まで来たので(サイクリングロードはあと3kmあるけど、20km走ってきたことだし…)アクエリアスで喉を潤して帰途についた。

行きはよいよい 帰りは…

ここまで来るのにかかった時間2:30。残り時間2:10弱。おまけにさっきの下り坂を全部登らねばならない。
ここから先は「早く帰る」ことに集中しようと決心し、上り坂を必死にこぐ。さっきはディーゼルの気分だったけど、今は息が切れてSLみたいである。走りながらアクエリアスの2リットルボトルで水分補給しつつ、20分ぐらい行くと末吉に戻って平坦に。そこからはちょっとしたアップダウンがあったが、ウェルネスロードに出てからはほとんど平地と下り坂であった。借りた自転車がよくチューンしてあったせいか、来るときにはウェルネスロードが上り坂だなどと気づきさえしなかったのだが、帰りは意外に楽であった。途中に残るキロポストで計算すると、ウェルネスロードの帰りの平均速度は36km/h。来るときに止まったり空を見たり、音を聞いたりして10km/hだったのと比べると相当速い。
国道に出てからは車道を平均25km/hぐらいで走り、急いでリース会社へ。なんでこんなに元気があったんだろう。サイクリングを終えて驚いたのは、腕と膝が南国の日差しで激しく焼けたこと、そして汗が蒸発して体中が塩だらけになっていたことだった。

…結局逆に予定より50分早く帰ってきてしまった。帰りは宮崎空港から西都城へと行くリムジンバスに乗り、都城から志布志へのバスも一本早く乗れた。

そして今日こそは「(申し出により自主規制)旅館」に宿泊。ここもなんとまあ、すごい旅館だったのだが、この話は明日にしよう。