その5 五日目


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-現在地-

時刻表('01/08/01)

三崎発
6:42
高速バス
八幡浜着
7:50頃
8:42
予讃線(キハ185 2連)
宇和島着
9:49
11:27
予土線(キハ54+コトラ50000)
窪川着
14:08
14:52
土讃線(1000系)
高知着
17:20
18:05
土讃線(キハ58+28+54)
阿波池田着
20:46
21:00
土讃線(キハ54単行)
多度津着
22:01
22:04
予讃線(6000系3連)
坂出着
22:18
22:21
本四備讃線 マリンライナー66号(213系3連)
岡山着
23:07
23:31
115系4連
福山着
0:24

漁港に朝がやってきた〜ここは四国の西端〜

4:15に下船。バスは6:42発なので、それまで「たんけんぼくのまち」をするしかないな。考えてみると2時間しか寝てないけど。
私がいまいる町「三崎町」は、四国は最西端の「佐多岬半島」の先の方にある。日本地図を切り取ってパズルを作った経験がある人は少なくないと思うが、この「佐多岬半島」、とにかく細くてはさみで切るのが大変であった。実際、この半島は場所によって太さが1000mを切っている!のだ。

だから、ここから国道197号線で八幡浜まで出れば、朝日に光る海を道の両側に見られるだろう、というのが今回のねらいである。

まだ時間があるので、早朝ではあるが町全体を歩いてみることにする。
この町は、漁業で成り立つ町。名産はサザエやあじ、ジャコ(雑魚)の薩摩揚げなどだろうか(町の看板からみるとそういう感じだ)。そのせいで朝は非常に早く、まだ4:30過ぎなのに、灯りの灯っている家が多い。

町は坂だらけで、とても狭い路地の周りに家が密集している。それぞれの家がよろず屋とか、電気屋とか、レンタルビデオ屋などをかねて副業にしている。

全体として坂が多く山がちなのは当然。佐多岬半島は山の尾根筋だけが海から顔を出した部分だからだ。

5:30。漁船がどんどんと朝の漁に出ていく。バス停は幸い、港にあるので全体がよく見渡せる。

6:00。まだ漁船が出ていく。そろそろバスにのる人々が集まり始めた。バスは1日3本で、八幡浜を通って、新しくできた松山自動車道を経由し松山に出る。乗客は全員地元の老人で、ほとんどが半島の付け根にある総合病院に診療を受けに行くところであった。たぶん三崎には病院が乏しいのであろう。1日3本しかないから、この時間に乗らないと病院で診察を受けて帰ってこられないわけ。漁村の人々は朝に強いようだから、6:42のバスなんて余裕なのだろう。

高速バスが出発すると、すぐに国道197号線(通称メロディーライン)に入る。先ほども述べたとおり山がちな半島を縫うように、尾根筋を走る。思っていたとおり、まばゆい朝日に照らされた海が右側に出現。本当にまぶしくて、サングラスなしでは直視することも叶わないほどだ。しばらくすると、左側にも出てきた。左右に展開する海はなんともいえずさわやかなもので、半島の付け根に着くまでずっと景観を楽しんでいた。

八幡浜の港は大きな漁港。競りが終わり、仕分け作業に入っていた。活気があってとてもよろしい。駅を出ると、…尋常じゃない日射しが。
これは昨日どころじゃないですな。立っているだけで熱射病になりそうである。おまけに私、2時間しか寝てないの。
…ということで、駅に逃げ込んだ。

陽光注ぐ宇和島へ

今日は予土線のトロッコ列車に乗るため、まず宇和島に出なければならない。八幡浜で適当に朝食を済ませて、2両編成の普通に乗ろうとホームに行くとなんとそこに止まっていたのはキハ185系の2連。
キハ185系は四国内の特急用に作られ、四国と九州で走っていた軽快気動車。現在四国での特急はほとんどN2000系などに置き換えられてしまったが、それでも作られて10年ぐらいかな? 性能も乗り心地もよい気動車である。

乗って一番前の席(展望がきく)をとると、ひとつ後ろの席に「あからさまにマニアックな男」が。若いくせにちょっと老けて鬚が濃く、眼鏡をかけて時刻表を眺める彼とは、今日一日同じコースになるに違いない、私の本能がそう危惧していた。
…この予感はあとで現実のものとなったのだが。

宇和島まではおもに、田園の中の草むした線路を抜けていく。乗り心地も良いし、強い日射しで田圃も鮮やかな緑色をしているし、大変気分がよい。

そこに、こまっしゃくれた感じのガキ(中学生くらいかな?)2人組が乗り込んできた。背伸びしたい盛りのお年頃って感じかしら。
その片方の男が、得意そうっにウォークマンを取り出す。うらやましそうなのに(←なぜ?)どこか無関心を装って見つめる相方。
そしてウォークマンの男はおもむろにカセットテープを取りだして言いました。

「これSPEEDのアルバムだぞ、すごいだろうっ」

そしてなぜかすっごくうらやましそうに、でもどこか無関心を装う相方。

なぜ? なんでSPEEDのアルバムが、それもアルバムをダビングしただけのカセットテープが今どき自慢できるアイテムになってるですか?

そしてイヤホーンを耳に入れ、腰に手を当てて、すっごく格好付けながら聞く。
それに彼はなぜかときどき、私に流し目を送るのよ。
もう心の中では大爆笑なのだが、こらえてどうにかほほえみで止めておいた。

中学の時の知人でもいたんだよね、アナクロ大爆発なのに全然気づいてない人。彼は中3のとき四国から単身、代々木ゼミナールの冬季講習にやってきて他の人たちが必死になっているときに

「あっと驚くタメゴロー」

とかすでに通じないネタを国立開成理社の教室でかまし、みんなから「『帰れ』光線」を浴びた男であった。
まあ、彼は中3にして「詳説日本史」という高校教科書を一言一句覚えていた強者ではあったのだが、大晦日の模試で1時間目の国語だけで大ショックを受けて筆記用具もそのままにどこかへ逐電し、二度と帰ってこなかったチキン野郎である(友人・談)。

彼らは途中の駅で降りていったのだが、そこでウォークマン野郎の後ろ姿をみて呆然。

お、女だったのか!?

まさか、私の目がそこまで腐っているとわ。

いや、やっぱしあれはブラ男だろう。

じゃあさっきの流し目は何? もしかしてわたし、ブラ男に誘惑されていたの?
ブラ男は嫌あ〜〜(TT (cf.WOWOW水曜18:30)

…といっているうちに終点宇和島へ到着。ここで予土線に乗り換えるまでに1時間以上の余裕がある。じゃあやることはひとつ。町を歩くこと。

南国宇和島

宇和島は城下町。立派な城と城山が残っている。宇和島の駅から1kmかそこらというところか。行って帰ってくるには手頃であろう。

駅から出ると……あーこりゃもうだめだわ。
日射しとその照り返しで頭が煮えそうだ。
が、ここまで来たことだし、行くしかない。

南国宇和島は日射しは暑いけれど、日陰なら汗をかくかどうかという程度のものだから、日陰の商店街を通るようにして城址へ。

入り口に看板が立っている。

登山されるお客様へ。云々〜」

登山か〜こう暑いと一気にやる気が失せる言葉だ。
意を決して! 登り始める。5,6分で頂上に到着。すぐに遮るものない陽光に焼かれるが、見晴らしは非常によい。山に市街に宇和島港。そして南国の空!

今回旅行してて一番思うのは、空の見せる表情がこんなにも多いということ。空が広く見える場所が多くて、カメラもつい空に向けてしまう。

…と、さっきの鉄道マニア君(と勝手に推測:以下υ)発見。私が帰ろうとする時刻ぴったしに下山道へと歩き出した。間違いなく、彼は予土線に乗るだろう。

四万十川と青い空

予土線はキハ54 1両にトロッコのコトラ50000が連結されている。珍しく車掌も乗務していた。これが名物トロッコ列車。

ちなみにキハ54は、国鉄がその末期に開発し北海道と九州で運用されている気動車。ロングシートが多く私はあまり好きではないが、性能もよく今までの気動車と互換性を保っているのでそれほど嫌いでもない。

予土線は宇和島を出ると、草むした線路を非常にゆっくりとした速度(30km/h以下)で登坂していく。四万十川の流れるのは山あい。ここからはまだ先だ。 途中の駅はみな、おもちゃの駅のような可愛い停車場ばかりでなんともほほえましかった。最初満員で出発した列車も、吉信駅に着く頃には観光客以外ほとんど残っていなかった。

ここでトロッコに乗り換える。これは一応指定席で、20人程度が乗った。
列車は国境の山を越え、ゆっくりと速度を落としながら四万十川に平行して走る。

清流の風、青い空と雲、トンネルの冷気、そして冷えたビール。

いま地球が滅びても私、何も思い残すことはありません。
もう、語る言葉はありません。写真を見てお楽しみください。

土讃線の旅

予土線の終点窪川は(トロッコの後は酒が入って寝てたのでおぼえてません)、激しい日射しの降り注ぐ小さなターミナル。土讃線・予土線・土佐くろしお鉄道の3線の終点である。駅前には何もない。
ここでトイレに行く。最近JRの各駅停車は、3,4時間走るにも関わらずトイレがついていないものがふえている。新型気動車はほとんどないし、旧型だとわざわざ撤去してあることもたびたびだ。これから土讃線などを乗り継いで9時間近くかかる旅。どこの駅でトイレに駆け込んでもアウトである。だから、行ける駅でトイレに行っておかないとまずい。

さて、これから私が乗るのが最強に男らしくない車両、1000系単行。
嗚呼、何が1000系でしょうね。キハXXと名付けろこの野郎。

知らない人のために説明すると、「キ」は気動車を表し、「ハ」は三等車を意味します。ついでに電車の「モ」は電動車、「ク」は運転席のある車両、「サ」は何もついてない車両、「ロ」は二等車(グリーン車)ね。だから、「クモハ」は運転台とモーターがついていて普通車ということになるわけ。
で、パワーが強くてオートマ。ワンマンにも完全対応。経済的。トイレなし。

旅情に欠けることこのうえない。うむ。
運転士はまだ新人で、私よりも若いのではないだろうか。純情そうな童顔の男。腕にはめたG-Shockが光る。途中の須崎までは指導運転士が横について指導していた。しかし、こいつの運転はオートマである。出発したとたんにノッチ(左手で操作する。車のアクセル・ギアにあたる)を5まで一気に入れて、コンピュータが勝手にシフトアップするのにまかせている。止まるときにはただブレーキを引いて、止まるまでそのまんま。
30歳以上の運転士だったらこうはしないと思う。発車してからしばらくは、1ノッチ(変速:車でいうところのLow)に入れ、エンジンが回ってきたら直結1段(Middle〜High)に入れるという二段階の操作が体に染みついているからだ。
…今さら必要ないスキルになっちゃったみたいだね(泣)。

途中、安和の駅では絵に描いたような弧状の砂浜沿いに停車。海水浴をすぐそこでやっていてうらやましかった(写真)。でも目を凝らすと、ビニール袋とか発泡スチロールとか汚いものが結構浮いてるな。

その後高知まではずっと水田地帯を走っていく。須崎で30分近く停車して1000系を2両に増結したが、それ以外に変わったことはなし。
あ、そうだそうだ、さっきのυは高知まで結局一緒だった。

列車は土佐山田行きだが、私は高知で下車した。やはり県庁所在地だけあり、大きなビルや店・人が活気づいている。ここで42分の余裕がある。
駅前に市電がいたので、躊躇せず飛び乗った。市電ではよくあるように、なんといってもぼろい。私が乗った車両も1955年製ですからね。整理券は、運転席で昔のテレビのチャンネルみたいなスイッチをがちがち回すと、その番号の整理券がでるんだっちゃ。だから12番までしか出ないんだっちゃ(^^;←ロータリースイッチはだいたい12接点と決まっているの
時間もないのではりまや橋で降りて、そこから駅へと歩いた。あまりに信号が多く足止めされるので、私が計算していた時間よりも結構長くかかって焦った。

ここからは第一番目の山越えをしなければならない。18:05発の阿波池田行きは終電車の一本手前である。キハ58+28を54が後ろからパワーで押す形になっていて山越えにはふさわしい編成である。高知から阿波池田まで、とにかく交換が多い。駅が少なくて特急などの本数が多いため、ほとんど二駅に一駅くらいの割合で「交換のため13分停車します」とかやられる。もちろん各駅停車は特急を待つ立場なのでひたすら待たされる。
高知を出ると、夕暮れの空が何ともいえず美しい。風景の中に空が開けるたび、違った色と形の雲に魅せられてはっとする。写真は何枚か撮ったけれど、あれは肉眼で見ないと分からないだろうなぁ。視野全体に空を入れてみないことには…。
土佐山田から、完全に日が暮れた山中を列車はゆっくり登っていく。新改[しんがい]では思いがけずスイッチバックがあり、驚いた。ここら辺の駅、スイッチバック用の信号場が昇格したようなのが多そうである。
「大杉」駅ではずっと長いこと止まって、特急と交換。何もない深淵の闇から特急が飛び出してくるのを待つローカル駅というのも、風情がある。虫はとっても多いけれど。
そうこうするうちに、乗客もほとんど降りて車内は私+1名だけになった。その先は私も「カラマーゾフの兄弟」を読みつつほとんど寝ていたのであまり覚えていない。
そうそう、ロシア文学ってのはロシア人が出てくるから眠くなるよね。名前覚えられないから。「桜の園(チェーホフ)」だっけ? あれも2ページ目で、誰が誰だか分からなくなったし。あと、単純に眠くなるといったら「細雪(谷崎潤一郎)」だねぇ。あれは睡眠薬だねぇ。眠れない夜でも30秒保たないで爆睡してしまう。
橋の上にある大歩危[おおぼけ]駅などを過ぎて、徳島への分岐点、阿波池田に到着。土佐から阿波へ国境の山を一つ越えた。

21:00発多度津行きのワンマンカーに乗って多度津へ。乗客は、私+1人(さっきと同じ人)。この人は私と同じ行程で岡山まで行くらしい。
阿波池田を出るとすぐにまた山越えが始まる。この山で注目すべき駅と言えば、「坪尻」駅。この駅、スイッチバック設備があるのだが、人がほとんど降りることがないという伝説っぽい駅である(この駅についてのホームページもあるくらい)。そもそも、駅を出ると獣道しかない(--;。一番近い集落へも…どのくらいかな?(地図)。ここで特急を待った。

そして多度津に到着。多度津からは電化区間であるから、電車(6000系:あー男らしくないよ〜)に乗り換えて坂出へ。この電車は最新型で、それはもう滑るように走っていく。こういう気分のときが一番複雑だ。効率主義を認めるか、ロマンがないと否定するか。板挟みである。
坂出からはすぐの接続で本四備讃線(瀬戸大橋線)マリンライナーで岡山へ。深夜の瀬戸内海は、船の灯りが美しかった。
さらに、岡山からは福山ゆきの通勤列車で福山へ行く。駅でこれを待っている間、あかつき+彗星号がとなりのホームに入ってきた。これは京都発南宮崎・長崎ゆきの寝台列車を2つつないで、とりあえず九州まで一緒くたに運んでいくもの。去年までは別々だったのだが、客が乗らずに赤字になったので、編成をみじかくしてくっつけたのだ。
「いい日旅立ち(山口百恵)」の到着メロディー(チャイム)の流れるホームに入ってきたのはEF66+疲弊した14系たち。「疲弊した」という表現がぴったりすぎるほど、汚れて塗装がはがれ、塗り直された感じの寝台車であった。
一人旅の途中で、「いい日旅立ち」なんかを聴くとじんと来るものがある。 “日本の何処かに"私を待ってるひとはいるのでせうか?
あとは福山へ。24:00を回ったので、車掌に今日の分の青春18きっぷの印を入れてもらい、福山到着0:24。そこから歩いてホテルへ。到着0:45。ベッドに倒れ込んで意識を失ったのだった。