その7 七日目
時刻表('01/08/03)
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綾部の朝結局ほとんど寝ないうちに4:30頃福知山に到着。あらかじめ車掌に「起こしてくださいね」と頼んでおいたので、わざわざ起こしに来てくれた。昨日のことがあるからね。これで大阪まで行っちゃっても旅行を続けることは簡単なんだけど、急行は青春18きっぷの対象外だから極力急行に乗る区間は短くしなければならないわけ。だから昨日寝過ごしさえしなければ浜坂までは終電で行ってそこから「だいせん」に乗るつもりだったのだ。いやぁ、車掌が起こしに来てくれるなんて人数の多い「ムーンライトながら」ではあり得ないかも。さて、福知山に降りて乗り継ぎの山陰線ホームへ向かう(「だいせん」はここから、私の嫌いな福知山線を通って大坂へ出てしまうのだ)。すると、止まっているのは何とも愛らしい115系切り妻改造車2連。115系ってのはいわゆる湘南型の中距離電車なんだが、もともと長い編成で運転されるように作られたため、今のように乗客が少ない時代には中間車が余ってしまうのだ。そこで、中間の電動車に無理やり運転台をくっつけたのが「切り妻改造車」である。普通の湘南型って頭が丸いじゃないですか(東海道線とか)。でも、この切り妻車の先頭っていうのはもともと車両の間の部分だから垂直なのね。これが何とも愛せるわけよ(写真)。北陸や東北にも愛すべき切り妻車がいろいろ走っているので、またあとで紹介しよう。 ま、とにかくその切り妻車で綾部へ向かう。綾部は山陰線と舞鶴線の分岐点。ここから私は若狭湾の海岸線に沿って福井へ行くつもりである。普通の人は福知山線で大坂へ出て、そこから東海道線→湖西線→北陸本線で福井へ出るんだろうが、いやいやそんな、とんでもない。やはりここは男として舞鶴線→小浜線→北陸本線で福井へ出るのが正しい。何しろ昔からの街道筋だからね(←気動車に乗りたいだけです、ごめんなさい)。
とはいえ、舞鶴線の始発は6時過ぎ。これから1時間ほど綾部で時間をつぶさなければならない。駅舎は新しいコンクリート造りで、駅前には国道が通っている。
6時もすぎたので、福知山から来た東舞鶴行き115系(3連)に乗り継ぐ。これは切り妻ではない。東舞鶴までは電化されているのだが、そこから先、敦賀までの小浜線は非電化区間となっており、キハ58+28の天国となっている(58+28しか走ってない)。小浜線は現在電化工事中。数少ない、西日本地区のキハ58の楽園も近代化の危機に瀕しているのだっ。--なんか矛盾してるけど。 …余計なお世話ですね。分かってます。 途中で「美浜」駅を通った。あの美浜原発があるところだが、一面の水田の中にぽつんとあるだけの駅で、原発がありそうにもない。実際若狭の原発は市街地から10km以上離れたところにあるのだけれど。
そんなこんなで終着駅の敦賀に到着した。右手から湖西線が接近すると、接続列車のスーパー雷鳥が併走する。どちらの列車も定刻である。恐るべき正確さだJR。敦賀駅でのスーパー雷鳥の停車時間なんて45秒〜1分台ぐらいだろうから、あと数十秒このローカル小浜線が遅れたら接続失敗ってことになるよね。 敦賀ではただ列車を乗り換えるぐらいの時間しかない。いやはや、ずいぶん大きい駅のように感じる。 乗り継いだ福井行きは、419系の3両編成。419系も長い編成をぶつぶつ切って、中間車に運転台をくっつけて作ったリサイクル電車である。しかし、この車両の魅力はもともとが寝台特急であるということ。 鉄道ファンでない人のために説明すると、ひと昔まえに「寝台特急『電車』」というものが全国的に走ったことがあるのね(581系・583系。「ゴーパッサン」などと呼ばれる)。昼間は一見普通の特急電車に見える車両の内装にいろんなギミックがあって、寝台や梯子が隠されているわけ。で、それをがたがたと引き出して組み合わせると、座席が下段寝台に変形して、中段・上段寝台がセットされて、全体に梯子とカーテンがセットされて、数分で寝台列車に早変わりしてしまうという電車である。たぶん設計するのは大変だったんだろうな。要するに高度経済成長の遺物(≒男のロマン)な車両なのだが、特急に使うのはやめたにしても「全国どこでも走れる(最高時速130km/h)」万能の車両をみすみす廃車にするのは惜しい。 そこで考えられたのがぶった切って普通列車にしようという発想。特に北陸・湖西線は途中にデッドセクションがあり、この車両はデッドセクションもクリアできるから便利なのだ。…ということで、現在敦賀のあたりで走っている各駅停車はほとんど583系改造車=419系なのである。 ま、私は昔この車両の兄弟の715系(東北用。交流オンリーに改造されている)に乗ろうとしたら、ものすごく臭いトイレの排気口の風が顔に直撃したことがあってちょっと素直に愛せないところもあるんだけどね。
車内にはいると、やはり狭い。3段の寝台をつけるために制限車高ぎりぎりで設計されているから天井は高いんだけど(通勤電車の広告の上にさらに1m強のスペースがあると思えばいい)、寝台が入っている部分が撤去されていない(!)ので(写真)、椅子に座っても上から重圧感を感じる。たぶんあの鍵を開けたら中にベッドが入ってるんだろうな。
走る骨董品(^^;)福井電鉄!福井に着いた。時間は3時間ある。さあ、何をしよう?
まっすぐ紀伊國屋書店へ直行。先月忙しくて読めなかった雑誌を全部立ち読みする。読み終わったところで漫画を一冊買って福井電鉄の乗り場へ急いだ。途中で見た土産物の「雲丹(ウニの塩漬)」は三大珍味の一つ。25g 4000円、140g 15000円だそうだ(しかも桐箱入り)。高いね。 この福井電鉄、福井市内は路面電車、市街に出ると武生まで専用軌道を走る列車である。福井電鉄で花堂[はなんどう]まで出て、そこからJRの越前花堂駅まで歩き、「越美北線」に乗り継いで九頭竜湖に出る計画だ。 越美北線は福井から発車するから、本当はこんなことをする必要はないんだけれど、JRが決めている越美北線の起点は無人駅の越前花堂駅。どんな駅か確かめて、かつ福井鉄道まで乗れるなら、一石二鳥だからね。
駅に着くとちょうど列車がやってきた。近づいてくる列車を見て仰天。路面を走ってるけど路面電車ではない! 路面電車ってのは普通バス程度の大きさになってて、地面から一歩で乗れるようにできてるんだけど、この列車は普通の電車だ。古ぼけた巨大な図体を路面に揺らしてホームへ入ってきた。海外のホームにいるみたいでなんだか怖い。しかも入り口が私の腰ぐらいの高さにあるんですけど。どうやって乗るのよ(笑)? 列車は2両編成で、私が乗った車両には「モハ80 昭和30年」という刻印が。ま、まさか…まさか! 鉄道ファンのあこがれ、当時の花形湘南電車の80系か? と思い、年甲斐もなく興奮して係員に訊いたところ、これは福井電鉄オリジナルの80系だとのこと。なんだ、そうだったのか…と、右を見るとすれ違う電車。あれは…あ、あれは1960年代に廃車になったはずの京王帝都車? 向こうを見ると、あ、あれは…あれは昔の江ノ電か(確認はできず)? ふえ〜っ、これはすごいよ。40〜50年前に各地を走っていたはずの車両が当然のように路面を走っている。おまけに鉄道会社はごちゃごちゃ。まるで博物館の中にいるようだ。
市街を抜けると専用軌道(普通の線路)に入って武生へ。すぐに花堂の駅に着いた。ここは普通のホームだからステップは出ない。降りると、激しい日差しと照り返し。九州や南四国の暑さは、単純に日差しが非常につよいためだが、ここの暑さはちょっと違う気がする。なんだか逃げられない感じだ。
あれあれ? (いったん跨線橋で線路を越えてから)ずっと駅への入口を捜しているのに、工場やら廃棄物処理場やらにふさがれて、全然線路に近づけない。もう駅をすぎてしまった。
さて、列車にひかれずにホームにたどり着いたはいいのだが…炎天下にコンクリートのホームと小屋が二つ(写真)。それに下り列車まであと40分もある。 「エイリアンは動物たちを生物兵器にしようとしている。そこで俺達が奴らに対抗するために目を付けたのがレッド・データ・アニマル(絶滅に瀕している動物)だ。彼らは種を保存しようとする力が強い。そのレッド・データ・アニマルの遺伝子を、寄生された動物に打ち込めばエイリアンたちを退治できるはずだ。ちょうどガンの治療にガン細胞を破壊する善玉ウイルスを注入するみたいにな。」言っちゃ悪いが作者は○○に違いない。だって逆じゃん! 種を保存する力が強かったら絶滅の危機に瀕したりしないよ! 絶対。たぶん「ピンチになって遺伝子が馬鹿力を出してる」といいたいんだろうが、遺伝子が意志を持ってたら大変だ。 私は変なSF設定には目をつぶる主義だけど、最重要の設定が現実と正反対だっていうのはさすがに目をつぶれないぞ。 あんまり関係ない話だけど、以前某番組で「OH! このまま別次元の生命体を侵入させたら、パウリの排他律で我々が消滅してしまいマ〜ス」とかやってたのを思い出すなぁ。当時はそういうもんかと思っていたが(おい)、今から考えるとすっげーこと言ってるよなぁ。俺たちゃ電子か?
熱中症とタブレット〜越美北線〜はあ、やっと気動車キハ120が来た。本数もかなり少ないローカル線だから、混んでいるとしても都市部を出るまで椅子が埋まる程度だろうなと思っていたら大間違い。車内は肩が触れない程度の満員状態になっている。これは驚きだ。そして、冷房が利いてない。
これには閉口した。車両が揺れると頭がくらくらしてくる。どうやら炎天下で漫画を読んだせいで熱中症になったようだ(そういえば昨晩ほとんど寝てないし)。ああ、これが熱中症なのね。 おおっ、越美北線にはまだタブレット交換が残っていたのかっ。
いわゆる鉄道マニアをやめてからもう9年がたつので、もう木次線が最後かと思っていた私。知識が足りませんでしたな。興奮で頭も一時的にすっきりした。
越前大野をすぎると景色は一変する。盆地の田園を抜けつつ、山に入っていく。そして最後に突然長大なトンネルが出てくる。二つ長いトンネルを抜けると、そこは山間の終着駅、「九頭竜湖」駅であった。
人工の秘境 九頭竜湖九頭竜湖の駅は無人にも関わらず新しい。駅を降りてすぐに大きな恐竜の像があり、駅と棟続きでなんだかいろいろな建物があった(人はそれほどいない)。いろいろ興味はあるのだが、ここから岐阜県の美濃白鳥へ接続バスが出ているので、急いでバスに乗り込んだ。小型のJRバスである。このバスで県境の峠(油坂峠)を越えるのだ。 なぜここにJRバスが走っているのか説明しよう。国鉄時代に福井から岐阜へと山を越えて日本を横断する路線(越美線)が計画された。福井側から越美「北」線、岐阜から越美「南」線が建設されたが、直線距離で15kmほどを残し越美北線は九頭竜湖まで、越美南線は北濃までで頓挫。越美北線は越前大野までならけっこう使う人がいるのでJRに引き継がれ、越美南線は「長良川鉄道」として第三セクター化された。 現在はその二線の間を結ぶべくJRバス(一日2.5往復)が走って、福井→岐阜のルートを確保しているのだ。 ※越美線の建設ルートとバスが走る九頭竜湖畔ルートは違うので注意。 さて、バスは3人の客(全員青春18きっぷ野郎だ…)をのせて出発。駅を出るとけっこう狭い国道158号線に沿ってどんどん山を登っていく。数分で駅は視界の底に消えた。するとすぐに右手に美しい湖とダムが見えてくる。九頭竜湖と鷲ダムである。実は、九頭竜湖は九頭竜川を堰き止めて作られた人工湖である。この先には九頭竜ダム(発電所)がある。九頭竜湖の広さは大体十和田湖と同じでかなり広い。緑の山に囲まれた青い湖水。たまに紅い吊り橋がかかっていたりしてなかなか美しい。よく見ると、水位がけっこう下がっているようだ。ベージュの地肌が1m弱ぐらいだろうか、見えてしまっている。 この夏の渇水の影響かもしれない。ま、夏になるとふつう、洪水防止のためにダム湖の水位は標準よりも下げるものだから、人為的なものかもしれないけどね。
そして見えてきました九頭竜ダム。バスからだから大きさの実感はないけれどかなり大きいのは確かだ(写真?)。
峠を越えると、国道にからみつくように左右のループを描く大きな高架が見えてくる。東海北陸自動車道だ。これは南側は越美南線のルート、北側はそれを(途中ちょっと曲がるけど)ほぼまっすぐ富山県へのばして砺波平野へ抜ける計画の自動車道。これを書いている時点ではまだ南北がつながっていないが、まあ、つながるのは時間の問題だろう。 さて、遙か小さく見える白鳥[しろとり]の盆地へとバスは一気に降りていく。国道からそれて、すごい急勾配の細い道をうねうねと下って白鳥市街に入った。
意外なことに(いつも失礼だな)、この街は今までの山間の街と比べものにならないほど大きい。とはいってもいわゆる地方都市のように中心部に大きなビルが建っているとかそういうのではなく、平屋〜二階建てぐらいの商店が昔ながらの町並みを形成しつつ、それなりに広いエリアをカバーしている。飛騨にはこういういい感じの街が多く存在するが、そんな雰囲気がすこし漂っていた。 運転手「いつもはゼロですよ。この路線はね、仕方なく走ってるだけですよ。今年いっぱいで廃止ですから」 そうなのである。この福井→岐阜の峠越えJRバスは今年2001年の11月30日で廃止が決定しているのだ。風光明媚な湖の景観をゆっくり楽しめるバスも今年限り。マイカーとはひと味違う風情を味わえるのは今のうちだ。みんな行こう!
白鳥から大垣へ〜清流ふたたび白鳥の町は「白鳥高原」の中心地。峠は32度だったのにここは37度もある。高原だから日差しも余計に強く、たちが悪い。また熱中症にはなりたくないものだ。電車までしばらく時間があるので町を歩いてみた。生活に最低限必要な店のみならず、喫茶店、駄菓子屋、飲食店、自転車店、帽子屋などいろんな店が軒を連ねている。そのひとつひとつが高度成長以前の風情を残している感じで、なんとも心がなごむ。 …なごむのはいいけど、37度は耐えられん。
本屋に逃げ込むと、地元のガキどもが座り込んで雑誌や漫画を読んでいる。店主黙認らしい。本の品揃えを見ると…
ふう。一通り見たか。では駅へ戻ろう。まだ発車まで時間がある。この駅は比較的大きく、売店もあれば自動券売機もある。長良川鉄道のみならず、JR・名鉄などのバスの切符まで自動券売機で買えるらしい。
ここから目的地の関まで26駅、54kmもある。まだ上流の長良川に沿ってレールバスはずーっと走っていく。長良川では釣りをする人々、泳ぐ人々を時たま見かける。ここら辺では川幅も狭く、底まではっきり見える。魚の姿まではっきり見えそうな清流である。 長良川鉄道「越美南線」としっかり書いてある!!
第三セクターの長良川鉄道になって越美南線の名は消え、国鉄時代の面影などあまり残っていない(駅舎とかホームとかはそのままが多いけど)と思っていた矢先、思わず目頭が熱くなった。
お、そろそろ関に到着。もう午後6時になる。今朝4時半から活動しているから、もう今日だけで13時間半も旅していることになる。 写真を見てくれ! ね、可愛いでしょう。問答無用でしょ。
関駅を発車すると、かなりの低速でゆっくりとカーブを曲がっていく。橋を渡るとすぐに新関駅。ここが美濃町線のメインの発着駅である。関まで来るのは1時間に1本程度しかない。
そうこうするうちに、岐阜市街に近づいてきた。そこで再び私は度肝を抜かれることになる。
だってさあ、そもそも路面電車と通勤電車じゃホームの高さが違うじゃないか。さっきの福井電鉄みたいに路面をでっかい電車が走るならステップを出せばいいけど、でっかい電車のための線路を路面電車が走るときには降りられないんじゃないか? 困惑する私。
そして電車は新岐阜の駅に入っていった。駅に入る前にポイントがあって、各務原線とは別のホームに到着した。さすがに終着駅は分けてあるらしい。
知る人ぞ知る東海道線、美濃赤坂線東海道線といえば、東京と京都を結ぶ幹線。終着駅は当然東京と京都…というのは常識だろう(←大阪じゃないぞ)。しかし、東海道線にはもう一つの終着駅がある。それが美濃赤坂、小さな無人駅である。大垣から出て美濃赤坂へと向かう単線の支線を、美濃赤坂線と呼ぶ。美濃赤坂駅には本当は職員がいる。しかし、客の相手をするための職員ではない。だから実質無人駅。 さすがに支線だけあって、本数は少なく、運転されている車両も2両編成の313系。岐阜から快速で大垣に到着した私は、しばらくロッテリアで発車時刻まで時間をつぶした(大垣の町は祭りで混んでいて、大荷物を背負って歩き回る気にはならなかった)。 ホームの先にある、普段は米原行きが来る場所。そこに2両の列車が止まっている。席が埋まる程度の乗客がいた。大垣を出るとしばらくは東海道線の本線を走っていく。313系は新快速(とか^^;)用に開発された形式で、130km/hでの安定走行が可能。軽やかで乗り心地もよい。 と、途中で速度をぐっと落とし、本線から右にそれる。ここからはゆっくり支線を走る。まもなく荒尾駅に着いた。ここはまだ住宅街の中で、多くの人がここで下車した。次はもう、終点の美濃赤坂である。片面一本のホームに到着、乗務員に切符を見せて下車した。小さな木造駅舎で、待合室も味がある。駅の入り口には木の板に墨で書いた「美濃赤坂」の文字が。おおかた味気ない東海道線の駅の中で、この風情はぐっと来るものがある。 折り返し発車までしばらく時間があるので、駅の外を歩いてみる。が…駅前の電灯以外ほとんど電灯がなくて、8時半をまわった今では歩くとすぐに闇に入ってしまう。それに駅構内は異様に広く、真っ暗な空間となっている。貨物のためのスペースである。それもそのはず、美濃赤坂支線は「西濃鉄道」という貨物線の一部なのである。旅客を扱っているのは美濃赤坂までで、東海道線はこの駅のレールエンドでおしまいなのだが、貨物線は二手に分かれて続いている。主に、運んでいるのは石灰。このあたりの山を掘ると石灰岩や大理石が出てくるようだ。
ちなみに、熱心な美濃赤坂線ファンは多くいる。
一路、東京へ大垣に戻り、東京行きのホームへ。まだ発車まで2時間近くあるが、東京行きの臨時夜行列車でしっかり席を確保するためである。なぜ「ムーンライトながら」に乗らないのか? と諸兄は聞くかもしれない。きっぱり言おう、ムーンライトながらは漢らしくないからだ。
予約をとって指定席、新快速のような車両、リクライニングシート、乗り心地も上々。 ということで、この「臨時大垣夜行」は、「ムーンライトながら」の切符をとれるチャンスを蹴ってまであえて乗りたい列車なのである。 読んでる人の中に反論したい人はたくさんいるだろうねぇ。あまのじゃくなことをあえて書いてるんだけどね。でも鉄道好きとしての正直な気持ちなんですわ。 さて、ホームでリュックを枕に仮眠。さすがに昨日は徹夜だったから、あっという間に夢の中。 … …
ふっと目を覚ますと、お目当ての車両が入線してくる瞬間であった。なかなかタイミング良く起きるものである。編成は165系と167系(どちらも幹線用の急行形として開発された、電化区間版キハ58系のような車両だ)を適当にちゃんぽんでつなげてある。単位編成ごとというわけでもなく、165系のMM'ユニットにクハ167をつけたりして、適当に組んである。これはこれで可愛いね(意味分からない人は読み飛ばしてくれ!)。 |