1日目

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時刻表

池袋発
5:11
山手線
新橋着
5:38
5:49
東海道線(113系8両)
静岡着
8:59
9:00
東海道線(113系4両)
浜松着
10:11
10:20
東海道線(211系3両)
豊橋着
10:55
11:17
新快速(313系4両)
大垣着
12:38
12:45
東海道線(313系2両)
米原着
13:18
13:26
新快速(223系8両)
京都着
14:16

 



浜松駅にて。211系5000番台


大垣駅にて。313系


米原駅にて。223系

まずは京都へ

私は東京在住なので、まず明日の白鳥に乗るためには大阪へ出なければならない。
京都在住の先輩I氏宅に泊めていただけることになったので、まずは京都へ。

新幹線? 金がもったいない …ということで、青春18きっぷで行く。ただし、「ムーンライトながら」は私の勝手な意見でいわせてもらえばあんまり浪漫があふれていない(やっぱ大垣夜行は165系じゃないとねえ)ということで却下。
で、結局昼間に各駅停車で行くことに。時刻表は左にかいてみた。

着いたその日中に京都観光をやろうという魂胆なので、予定がすごいことになった。だいいち、この予定では池袋で山手線に乗り遅れると全てがおしまいになってしまう !(笑) 時刻表だけをみながら予定をたてるからこんなことになる。

一人旅のつもりで無謀な予定をたてていたら、前半日程をサークルの友人、Huck氏と同行することになった。彼には悪いが、私の予定につきあってもらおう(^^; ちなみに彼は写真家でもあるので、是非素晴らしい写真を撮ってほしいものだ。

朝3時に起床、4:31の始発で池袋へ出る。暗い中、冷たい雨が降っていた。
前日に、「池袋駅の改札に駅員がいなくて青春18きっぷにスタンプを入れてもらえず、乗り遅れる夢」を見たので心配だったが 、駅員がいたので一安心。ま、池袋駅にいないわけはない。 その後は予定通り東海道線に乗り、Huck氏と合流した。
Huck氏と雑談しながら電車の前を眺めていたが、あまりに単調(直線ばっかし)なので金谷あたりで一旦座席に座った。本当は京都まで立って行くつもりだったのだが、疲れてどうでもよくなった。

さて、浜松で3両の岐阜行き各駅停車に乗り換える。ロングシートの211系5000番台で、あまり好きではない。だが、乗ってみるとかなり軽快で驚いた(211系の足まわりは山手線の205系と同じ)。113系が重すぎるのだろう。豊橋の手前、弁天島は以前から興味のあった駅で、駅の前後の橋を写真におさめたかったのだが失敗。

豊橋で新快速に乗り換え。313系新快速に乗るのはこれが初めてである。やはりとは思ったが、そりゃもう速かった。高速ですれ違っても窓ガラスかあまりがたつかないのは評価できる。 ここら辺で雨が止んだ。 ふと前を見ると、いかにも鉄道ファンらしき顔の男が、満足げに「さよなら白鳥号」とかかれた封筒に入った指定券を眺めていやがる。く…悔しいっ。ちなみに私は1ヶ月前の10時に池袋で(指定券を)買おうとしたが、1秒で売り切れ、断念した。しかし、鉄道ファンというのはなぜ顔で分かるのだろう。同族の直感なのか、それとも誰にも分かるのか…私はどう見えているのかな(苦笑)。
あとでHuck氏に聞いたところだと、あれは指定券ではなくてテレホンカードだったらしい。ちょっと安心(無意味)。

そういえば、新橋を出てもう名古屋に着こうというのに、まだ検札が一回もない。最近はあまりしないものなのかしら。

さてさて、件の鉄道マニア君は名古屋で降りて新幹線で大阪へ向かった。金持ちなヤツである。名古屋ではしらさぎ号が発車を待っていたが、これが双頭ボンネットクハ481の485系7両編成。私は別にボンネットファンではないけれど、つい写真を撮ってしまった。

名古屋から大垣を過ぎて、米原へ各駅で出る。関ヶ原周辺は、地形が複雑なので、見ていてあきない。幸い313系は、先頭車に座っていれば前がよく見える。

米原からは関西タイプの新快速223系でまっすぐ京都へ向かった。すると乗務員室に5人、JRの制服を着た人々が入ってきた。彼らは練習生らしく、運転士が指差確認するたびに狭い乗務員室で全員、指差確認を復唱していた。Huck氏が異常に受けていて、「次の信号まだかな〜」とかいいつつ、写真を撮りまくっていた。

高山寺にて。

さて、京都到着後は白鳥の切符を購入、すぐにJRバス栂ノ尾行きに乗り換えて、栂ノ尾高山寺に向かう。京都駅から40分ほどで高山寺に到着したが、驚いたことに他の観光客も修学旅行生も全然いない。

そもそもバスには我々しか乗っていなかった。山の中はただ木の香りとが漂い、川のせせらぎが聞こえるばかりで、空気も京都市内と比べると涼しく感じた。

国法石水院を中心に、境内全体を歩いた。雨の後のしっとりした木の香りと足の裏に感じるひんやりした感じがたまらず、暫く石水院の縁側でごろごろしていた。

境内を出ると「右京連合」とかいう暴走族の落書きが。そういえばここは高雄…いやいや、漫画家なんて知らないよ(笑)

その後は先輩 I 氏の家へ。明日はいよいよ白鳥に乗る。

 

…で一日目は終了…だと思うだろ!! 俺も思ったさ !

上までの段落の内容は千本丸太町の公衆電話でアップロードしたわけだが、そのあと私はI氏の家へ向かうため、循環系統に乗って百万遍へと向かったわけ。大体18:00〜30あたりに着くから電話すると事前に言っておいたのだが、

いざ着いて電話してみると

「留守番電話サービスに接続します」(爆)

京都の町中で呆然と立ちつくしたっすよ。マジで。で、しばらくは迎えに来てくれるように何度か留守番電話に連絡を入れつつ『津軽(太宰治)』なんてものを読んでいたのだが、冬の京都の夜というのは結構体にこたえるもので、19:10分を過ぎたあたりでバス停で待つのを断念

それから先輩の家(アパート)を(年賀状の住所を頼りに)直接探すことにした。

先輩の家は「田中大堰町○○○番地」なのだが、田中大堰町だけだと少なくとも数百軒あって探せない。
そこで番地の並びに規則性を見出そうとした結果(冬の京都で凍え死ぬわけにはいかないからこっちも必死である)、西北の方向に向かうにつれ番地の数が増えていくことを発見(この時点で19:30)、その後どうやら目的地は小学校の向かいにあるらしいという情報を入手。

そしてやっと見つけた先輩のアパート。呼び鈴を押す。呼び鈴を押す。…50回ぐらい押す。

うおーっ、先輩がいねえっ。

観◇ちん、ぴーんちっ。私の思考はそこで停止。

そしてそれは怒りに変わってくる。1ヶ月も前から電話で2回、Eメールでも1回予定を確認してるのに何故来ない? 電話が留守電? おまけに家にいないですか? この時点で20:10分。

最後のだめ押しで近くの公衆電話でもう一回かけたところ、やっとのことで繋がった。

「え、今京大にいるんだけど…」

おいおい…。

朝4:00に家を出てから16時間。さらにその後20分弱かかって、やっと私は屋内に入ることができたのだった。

まあ、凍え死なずに済んだだけ良しとするか。

☆実は、先輩は私の着く直前にバス停に来たのだが、私がいなかったので京大でのディベートにいってしまったらしい。携帯電話は設定ミスらしい。 呵々。