朝は、I 氏に京都大学構内を案内していただいた。京都大学は、付属の(医科の)短期大学の入試の日であったらしく、入試風景を見ることができた。他人の入試を客観的に見るのははじめてであった。 そうこうしているうちに予定している京阪電車に乗り遅れそうになったので、先輩の自転車を貸してもらい、 出町柳へ走る。出町柳からは京阪特急で淀屋橋へ出た。京阪特急が折り返すとき椅子が一斉に自動反転するのは、見ていて面白い。 |
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さて、大阪の駅でHuck氏に合流していよいよ白鳥号の入る11番線へ直行する。すると、溢れかえる報道陣と人、人、人 ! どこからどう見ても鉄道ファンにしか見えない人々がホーム上でごったがえしていた。マニア顔が集結してそれを係員が必死で整理している姿は、まるでどっかの同人誌即売会のようであった。 私たちは、9号車(一番青森寄り : ホントは新潟で方向が変わるから大阪寄りになるわけだが)の列の最後尾に並んだ。はっきり言って、座るのは絶望的。最初から12時間半の間立ち通しになることは分かっていたのであきらめていたが… 入線が9:57分。わざわざ「白鳥号が入線します ! 」なんて車内放送をするものだからホーム中が色めき立って大変だった。その後はホームで記念式典と花束贈呈をやっていたようだが、私は自由席をとるのに必死だったので人混みしか見ることはできなかった。 さてさて、先頭車の一番先のあたりまできたところ、まだ空席がある ! 無茶苦茶ラッキーであった。ちなみに、私の乗った先頭車はクハ481ボンネット。京都電車区のノーマル485に金沢電車区のモハ484,485のMM'ユニットを中間増結した11両編成であった。ヘッドマークは特製の『「さよなら」白鳥』であった。 車内にいるのは皆さん鉄道ファンの方々、なのは最初から分かっているのだが、青森まで行くのみならずこのまま夜行「はまなす」に乗り継いで札幌まで逝く(^^;人が多いのには驚いた。エコノミークラス症候群にならないことを祈るしかあるまい。 で、まあ予想はしていたのだが「うざい鉄道ヲタク」が出現。鬚の剃り跡も青々しい二十歳前後の男で、一人で悦に入りつつ、「貴方はどこまで? いや〜これ僕の撮った写真なんですよ。梅小路機関車館とかで。そうそう、廃止になる白鳥号に一言。ああーーっ!! 撮影の人がおるよっ、いっぱい、ほら、シャッターとか押せへんであれ!!」とか30分ほどのたまい続けた。京都に着くあたりで他のファンに「お前だけの列車やないねんど、黙っとれ!!」と一喝されて少しは静かになった。 沿線には各駅、各踏切に鉄道ファンがいて写真を撮っていた。
しばらくは、右に琵琶湖、左に雪が積もった比良山を見ながら、湖西線を130km/h運転。クハ481が(比較的)軽いのと軌道のせいで、走行音は軽い。件の鉄道ヲタクが「デッドセクションがあるよ! デッドセクションがあるよ!」とデッドセクションが過ぎるまでいっていた。間抜けである。
その後は敦賀のループ線(衣掛トンネル)について語っていたが、私は気づかなかった。 敦賀を過ぎると北陸トンネルという長いトンネルがあるのだが、それを通過した瞬間、雪景色が広がった。積雪50cm以上あって驚いた。が、暫く経つと雪もまばらになってきた。そろそろ武生である。 武生を過ぎると、ずっと田園風景が続く。福井、芦原温泉と止まっていったが、件のマニア君(以下A)は各駅で降りて写真撮影。芦原温泉や加賀温泉は停車時間が30秒程度なのだが勇敢にも降りていた。ちなみにAは自由席で座れるところを見つけ、私たちに迷惑をかけなくなった。よかった。 芦原温泉で大体12時半。弁当を食べることにした。「さよなら白鳥号記念弁当(1000円)」。2月から、白鳥の廃止を惜しんで発売されたものである。要は包み紙が違うだけの幕の内弁当なのだが(写真参照)、中身は今まで食べた駅弁の中でも特においしい方であった。煮物の味や塩鮭の塩味はしっかりつけてあり、関東人の私の口にはよくあった。鶏肉の煮物や小さないかめし(3cmぐらい)がとりわけおいしかった。 富山を過ぎるとちらほら雪が見え始めたが、同じ地方でも地形によって全然積雪状況が違う。ここら辺の穀倉地帯の田圃にはまだ積雪していないようである。 時刻表から計算すると、糸魚川と直江津の間で上下白鳥号がすれ違うので、多くの人が車内からカメラを向けていた。私の計算では、14:31にすれ違うはずだったが、こちらが2分程度、相手が10分程度遅れていたため、すれ違う時間は4分ほど遅くなった。何か撮れているかどうかは写真の現像ができてからのお楽しみ(左)。 柏崎から内陸に入っていくのだが、内陸に入ったとたんに周囲は一面の雪原になった。ひたすら地平線まで雪で、道にラッセル除雪が入っている。それでも鉄道写真を撮影しようとする人々は沿線に絶えず、四輪駆動で来て撮影していた。 長岡からは雪が舞い始めた。東三条・新津を過ぎて次は新潟。東三条では例によって見送り&写真撮影の人がたくさんいたのだが、そこから少し離れた、駅の外でひとり佇み白鳥を見送る制服姿の少女がいた。彼女は白鳥号を見送っていたのか、それとも… 新潟で白新線にはいるため、列車は向きを変える。 海にまた近づいてきたせいか、積雪はほとんどない。 新潟では駅職員総出で白鳥に別れを告げていた。「さよなら白鳥」の横断幕まで作られていた(写真)。それだけ思い出深いということか。 中条あたりで、写真撮影のために(Aみたいに…^^;)ホームへ降りる客にしびれを切らした車掌が車内放送でしつこく「ホームに降りないで下さい」と放送したため、坂町からはあまり迷惑な客はいなくなったようである。坂町あたりで雹(ひょう)に見舞われたものの、すぐに青空まで出てきた。そろそろ、新潟平野に日が沈んでゆく。 村上でデッドセクションを過ぎた後の羽越本線は、暮れて行く海沿いをずっと走る。先ほどまでは青と水色だった日本海も今はモノトーンで、白い水しぶきが奇岩にはじけているのみ。ずっと海岸沿いの道路と併走していった。 新潟から何度も、数人の迷惑な客(いずれもいい年した大人)が車掌室に入ろうとして扉を叩いたりして邪魔扱いされている。どんな世界でもモラルを知らないヲタクは手のつけようがない。 そういえば、大阪を出て10時間、Aは5・6号車の間でまだ騒いでいた。「だから100系ひかりのグリーン車で修学旅行に行ったなんて、ムキーッ(以下引用する気もしないので省略)」そういえば、彼はコミケに出没する「妙に陽気で、他人が買った18禁同人誌についてコメントしたがる男」に似ているな。コミケの「妙に陽気で、他人が買った18禁同人誌についてコメントしたがる男(笑)」についてはあえてコメントしないが、皆さんが想像するような風体と性格で大体合っていることだろう。 鶴岡からは日が暮れてしまった庄内平野をひた走る。田圃しかないので、夜になると真の闇。市街地を出ると街灯もまばらになった。庄内に雪は積もっていない。意外である。 それから後は大したこともなく、外が暗いので太宰治に読みふける。秋田を通ってから、車内で買っておいた新発田の駅弁を食べた。「まさかいくらなんでも弁当」という名前なのだが、「ます」「さけ」「かに」「いくら」が入っていた。寒かった。何故寒いか分からない人はまあ、考えてみてください。…味はおいしかった。そもそも上に書いた素材(酢漬けとそぼろ)と漬け物が入っているだけなのだから、ネタがおいしければおいしいに決まっている。 八郎潟の見渡す限りの水田(と思われる真っ暗闇)の中を列車はひた走り、東能代、鷹巣、大館へと進んでいく。 青森ではごった返す鉄道ファンに混じって写真を撮り、電車と人が全てホームからいなくなるまで、余韻に浸っていた。その後ホテルへと向かった。明日も早い。 #青森駅に着くと演歌が流れていた。これはこれで風情があるのだが、電車の発車ベルがこんな感じだから、風情も薄れるね^^;
役目を終えて、ホームを出ていく485系。 そして最後にもう一度...... |
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新潟駅では職員総出の見送りを受けた。 |
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