車窓の岩木山。
弘南鉄道弘南線。元東急。ヘッドマークの「柏木温泉」がナニカを連想させたり… 雨月山? そんなものは知りませんっ(笑)
で、その車内。拡大してみるとよく見えます。渋谷東急と109の広告。 青森までまわされて来たんだから取れよ...
ねぷた記念館の巨大ねぷた。
頼むから、マネキンにねぷたを牽かせるのはやめて下さい(^^;。
弘前城の「お堀のはず」のところ。冬期は凍って使いものにならない。
弘前城天守。かなりパースに無理をしているので大きく撮れているが、本物は驚くほど小さい。
|
弘南鉄道に乗ろうよ
弘前に着いたら、まずは今日のメインイベント、弘南鉄道に乗る。弘南鉄道は弘前の平野部を走り、学生などの交通の便を担う私鉄であり、昔から変な列車がいろいろあることで有名である。現在二つの路線、「弘南線」と「大鰐線」があり、
弘南線は、弘前〜黒石間を、
大鰐線は、市街中心部に近い中央弘前〜大鰐間を、
電車が(気動車ではない。直流1500Vで電化されている)それぞれ30分前後で結んでいる。以前は黒石線という線がもう一つあり、川部と黒石の間を元国鉄のキハ20系列の気動車が走っていて鉄道ファンの心をかき立てたものだが、今はもうない。
弘南線を今、走っているのはもと東急の7000系。昭和40年前後に製造され、東横線などでさんざん走ったヤツである。吊革にはまだ、「東急百貨店」「109」などの広告が貼ってある箱がついている(東急沿線の人、分かるよねぇ)。改装しようとか金のかかることは考えないらしい。
私も、つい東横線に乗っているつもりでドアの横の部分に寄りかかって発車を待っていると、目の前のドアがガーガーめまぐるしく開閉を繰り返し始めた。しばらく「??」と思っていたら、ドアの横に開閉ボタンがある。こんなところだけローカル線で、外見は二両編成の東横線、おまけに吊革は109。何と愛せることだろう!!
今日は黒石商業高校の卒業式であった。そのため、車内は卒業アルバムと花束を抱えた女子高生でいっぱいだった。あ、もちろん男子高校生もいたと思うよ。…たぶん。車窓から見えるのは一面の雪野原とリンゴ畑、そして岩木山。岩木山は青空とまぶしい平野に映えて美しい(写真参照)。そうそう、太宰治は「『岩木山が美しく見えるところでは、美女が多い』と一般的にいわれるが、あれは嘘だ」と私見を述べている。Huck氏はひどいことに、太宰に賛同してしまったが(=_=;)実際はどうだっただろうねぇ。明日は岩木山を反対側から見るから、少しは議論も展開するかもねえ。なーんて、だから女子高生の品定めをしに東京から来たんじゃないっちゃ。
黒石から弘前市街に戻った。大鰐線はあとで乗る。弘前には「100円バス」なるものがあって、市内を循環しているので市街中心部へ向かうためにこれに乗った(弘前駅は市街中心部から離れたところに立地している。鉄道建設のとき地元の街道筋が寂れるのを嫌がって地元住民が反対運動を展開し、鉄道が市街と離れたところを通らざるを得なくなったという事例は結構多い)。
100円バスは安いだけではなかった。 それなりに、100円たるゆえんがある。まず、ドアがちゃんと閉まらない(爆)。停留所ごとに運転手が必死に開け閉めしてどうにか閉めている。おまけに、椅子が自動リクライニングしてしまう!!
つまり、ちょっとでも背もたれに体重をかけると、後ろにぐーーっとリクライニングしてしまうわけ←よーするに故障..。すごい路線バスだ。まあ、リクライニングできるあたり、観光バスのこわれたヤツを回してるんだろうね(苦笑)。
市街中心部に着いてまずは「ねぷた記念館」へ。弘前のねぷた(ね「ぶ」たは青森ね。知ってるだろうけど)は扇形の大きな絵を骨組みに張った山車で町を練り歩くというもので、眠たいときに灯籠流しをやったことから(ねぷたい?ねぶたい?)祭になったと、係は説明した。何とも平和な逸話であることよ。ちなみに私が聞いたところでは、いわゆる「蝦夷」と呼ばれた人々を駆逐し、征服し、支配を拡げていくその戦争から、勇壮な祭が生まれたという由来があるようなのだが。ううむ。みんなはどっちが説得的だと思う?
いや、これ以上は何も言うまい。
ねぷたの表は三国志や水滸伝由来の武将画、裏は美人画と決まっていて、間近で見ると本当に迫力がある。職員の人の指導のもと、笛に合わせて大きな太鼓を叩かせていただいた。この太鼓は耳を劈くような大きな音が出る。その秘密は太鼓の大きさや形はもちろんだが、バチの形にもあるようだ。バチは一般的な木の棒と違って、少ししなっている。そのため勢いを付けて、衝突時により大きな面積を使って振動板をたたけるから、大きな音がでるように思う。
出口付近にはねぷたの再現として、人形が法被を着て、ねぷたの山車を引いている実物大模型があったのだが、これはかなり笑えた。予算を節約するためか、老若男女すべての人形がマネキンなのである。全員が、愁いを込めた瞳で2,3メートル先の空間を見つめ、片足に体重をかけて静止している(写真)。そんな祭あるかい
! 縄文遺跡で竪穴住居の住人が全員カーネル・サンダースおじさんだった、っていうのと次元はあんまりかわってないよね。
…なーんてこき下ろしてごめんなさい。町おこしの邪魔をしてしまいました。私も楽しませてもらったんです。
他にも、弘前の宣伝かアニメ本編かに使われた「サザエさんin弘前」のセル画のコピーが展示されていたりした。ほとんど止めか引きだったが…
そうこうするうちに、時間がなくなってきた。私たちが次に乗るのは「弘南鉄道大鰐線」。発車まであと40分足らずだが、駅は市街の真ん中(でも雰囲気は場末)にある「中央弘前駅」であり、ねぷた記念館から1km以上離れている。Huck氏のナビのもと、桜並木の中弘前城をぬけて中央弘前へ急ぐ。雪道がこれほど疲れるものとは…結局あと2分のところで間に合った。
|