雪解けの千曲川紀行〜飯山線 |
時刻表
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戸狩温泉へ長野では、篠ノ井線からすぐに飯山線に接続する。飯山線はキハ110の2連。いつも思うのだが、JR東日本よ、どこでもかしこでも気動車をキハ110系列に置き換えるのはやめてくれ。飯山線にキハ28・58(だよね?)を返せっ(下へ続く)。 それはともかく、乗り込んで驚いたことに、席がみんな進行方向右側を向いて横向きに固定されている。これは線路の右側をずっと千曲川が流れているため、その景観を見るために改造されたらしい(地図参照)。「ふるさと号」という愛称までついていた。 真っ白に積雪した川沿いの平地と左右にそびえる山々の間を、冷たい雪解け水をいっぱいにたたえて千曲川が蛇行していく。絵のような見事な景観だ(写真)。確かにわざわざ車両の椅子を改造するだけはある。 車窓を楽しんでいるうちに、すぐに戸狩野沢温泉駅に到着した。島式ホーム1本のみの小さな駅である。ここで13:21発の各駅停車十日町行きに接続である。 と、おもったら…
なんじゃそりゃあ!!(泣) っていうか、そういうことは長野駅で言えよ。こんな所まで連れてきてから言うなぁ! …ということで、他の地方への交通手段が飯山線とタクシーしかない戸狩野沢温泉(地図中赤点)に、3時間も取り残されることになってしまったのだった。がーん!(TT; 急いで待合所に駆け込み、今日中に東京に帰れるかを調べる。青春18きっぷとほんの少しの金しか持っていない私にとってはかなり切実だ。すると、16:05発でも3分の接続でどうにか上越線の終電に乗れることが判明した。 |
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取り残されちゃったよさあて、どうしようかな。スキー場と温泉の町で3時間、ひとり。 幸い、空は快晴だ(だから雪崩が起きやすくなるんだけどねぇ(^^; )。 …だとしたら、やることはひとつ。3時間でスキーは無理だから、温泉に行くしかない。 早速観光案内所に行き、予約なしで入りにいける外湯を教えてもらった。 そこで、徒歩で往復できる戸狩温泉へ歩いていくことにした。行程は2kmのはず。 ----(30分経過) 2kmっていってたから、そろそろかなぁ。でも一本道のはずだから安心だよね。 ----(さらに30分経過) 隣町の入口が見えてくる(爆)。とっさにイヤな予感がして地図を開くと… ………(c)elf ふふっ…また…やっちまった。 私としたことが…最近なんか迷ってばっかりですにょ。わざと? いや、受け狙って道を間違えられるほど器用じゃないりゅん(謎)。こう見えても中学では2年間も「地歴部長」をつとめてハイキングからオリエンテーリングまでやった私ですがにゅ。考えてみれば1年経っても駒場1号館で毎日迷ってますがにゅ。
…ごめん、もうやめます。 まあ、そんなこんなで温泉に着いた。外湯はこの地域に2箇所のみ、私が行った「戸狩温泉暁の湯」はまさに風呂のみという感じで、入口で金を払ってからすぐ脱衣所になっていた。 温泉は弱アルカリ性硫黄泉で、もう最高。露天風呂があり、そこからは雪原がずっと見渡せる。一人でまったりとあたたまっていると、スキーウェアを着た男ががらがらと入ってくる。 さて、温泉の帰りは道に迷わずにまっすぐ駅へ。 さすがに今回は迷わない。そこまでバカじゃないし(^^;。 |
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(ここから写真はまだ現像してません) |
雪崩防止とスノーシェルターさてさて、やっと乗れた16:05発越後川口行はキハ110の単行で、乗車率は50%ぐらい。かなりよい方である。 飯山線は、ここから一層豪雪地帯に入っていく。飯山線の名物といえば、やはりスノーシェルターだ。山から雪が落ちてくるのを線路の瀬戸際でくい止め、線路を守る網である。春は雪がとけて、水っぽくなってきているので、スノーシェルターが最も必要なときである。実際、かなりスノーシェルターの上に積もった雪は危なっかしく見えた。まだ若い運転士は、シェルターが来るたびにとても嫌そうな顔をして減速し、駅に定刻で着けると小さく「うぉっしゃあ」と喜んでいた。 スノーシェルターが一番多くなるのは森宮野原駅の付近。ここはJR線で最も積雪量の多いところとして知られており、昭和20年代に最高記録「積雪7m85cm」 を記録したという。駅で暫く停車時間があったので測ってみたところ、2m強程度の積雪だった。ゴールデンウィーク頃に雪は消えるらしい。駅前には大したものもなし。 雪が融けると、スノーシェルターの下に水が垂れてくる。すると、それが凍ってつららになる。トンネルもスノーシェルターもつららだらけ。ディーゼルカーはバキバキとつららを折りながら走り抜けていった。 たまにこちらの震動で小規模の雪崩が発生し、屋根の上の「ドドーン」という轟音が聞こえてくることもあってすこし怖かったが、 つつがなく超豪雪地帯をぬけることができた。 十日町あたりからは米どころ、新潟県魚沼郡。今までが激しかったので大した積雪には見えないが、ここもかなりの豪雪地帯である。日が落ちてきた魚沼丘陵を見ながら、終着駅の越後川口に到着した。越後川口は本当に小さな駅で、飯山線ホームと上越線ホームが2本並んでいるだけ。売店さえ、ない。 ははは、まだ新潟県なのに日が暮れちゃったよ。こんなとこで日が沈んでて東京に帰れるのか? 時刻表の上では大丈夫だが、ちょっと不安になる。 |
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夜の上越線 さて、先ほど「上越線の終電」と書いたが、18:04分発のこの列車が終電だとはとても思えないだろう。 川端康成の時代は、上越線は単線であった。現在は上越線の上り線がこの線路を利用している。上越線が建設された当時は、列車がそれほど急勾配を上ったりできず、またあまりに長大なトンネルを掘れなかったため(清水トンネルは十分長大だけどね)、ループ線を2つも使って高度差をどうにか越えながら清水トンネルを通って峠を越えていた。入口には「湯桧曽」、清水トンネルの合間には「土合」、出口(『国境の長いトンネルを抜けた』駅)は「土樽」駅である。←地図参照 下り線が作られるときは、トンネル技術がさらに発達していたため「新清水トンネル」という一つのトンネルだけで国境の山ごとぶち抜いた。しかし、上り線のトンネルの合間に作った「土合」駅の下り線ホームをどうにかして作らなければならない。そこで、無理矢理トンネルの中に下り線のホームを作り、上り線のホームとの間を500段以上ある階段で結んだ。なかなか珍しいケースであり、そのため鉄道ファンの聖地のひとつになっているのだが、悲しいかな、今回は終電なので降りていられないのだ。無念
!! 闇の中到着した、上り線の土合は小さな駅であった。地下道の入口も小さかった。ここは天神平スキー場の最寄り駅なのだが、誰も列車は使わないみたいだね(泣) 水上に出たが、すでに夜なので駅弁はなし。おまけに、売店さえない。意外に小さな駅だった。そこから高崎行きで1時間。 高崎駅に着くと、なにやら騒がしい。さいたま新都心付近で列車妨害があったとかでダイヤがかなり乱れていた。けれど、高崎まで来てしまえばこちらのものだ。高崎線の終電まではあと5本ぐらいあるし。今さら遅れても大したことないし。 20分発車が遅れたが、高崎の「鶏めし弁当」を食べて過ごした。 リスさん「今日はニワトリさんのところへ、卵料理をごちそうになりにいくことになったの。わーい !」 とかかいてあったりするのを見ると何とも言えず複雑な気持ちになるのだが、同じ気分だ。まるでお友達を餌食にしてるみたいである。 …なんて行ってるうちに赤羽。家に着いたのは23:40分。予定からきっかり3時間遅れであった。 (おわり) |