早春の京都ツーリング
さぁ、京都に行こう。
修論発表が終わった。そのあともいくつか仕事があり、とりあえず大体片付けた。
仕事をしている間は、一通り終わって休みになったらまた沖縄へ行こう、とそう考えていた。しかし終わりそうになってくると、もう沖縄へ行く体力も、大旅行の計画を立てる体力も残っていなかった。
じゃあ。まあ。
とりあえず京都にでも行こうか。
ユースを予約し、2日分の着替えだけ持って私はいつものように研究室へ向かった。
冬枯れの保津峡
研究室を22時に抜け出し、東京駅へ。
夜の内堀通りを心地よく走り、さくっとパッキングを済ませた。
今日乗るのは寝台急行「銀河」。今残る数少ないブルートレインだ。
あいにく東海道線は人身事故で遅れており、なかなか来ない。ホームで待っていた老婦人に「こういう列車がなくならないといいですね。新幹線はせわしなくて」と話しかけられた。相手が鉄道マニアでなくて助かるわ。
銀河は17分遅れで発車した。車両はいいかげんボロい24形25型だが、いかんせんもう作ってないんだからしょうがない。きれいだからいいさ。もう20年以上変わらないこのダイヤ、スタイル、そして客車の乗り心地。ロマンじゃないか。
あまり寝つけないまま、朝関ヶ原で起きるとー面の雪。ま、関ヶ原は特別に雪が多いものね。
1日目。地図中のコースの色は青:15km/h→赤40km/hに対応します。
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7時に京都に着くと乾燥路面。コンビニで肉まんを食べて出発である。
烏丸通を丸太町まで北上するが、途中で交わる小路の雰囲気がいい。六角通とか。
丸太町に出ると一路西へ。今日は奧嵯峨(さが)から保津峡(ほづきょう)という峡谷を越えて亀岡を目指すのだ。
太秦(うずまさ)を抜けて竹林の中を登っていくと、化野(あだしの)に着く。徒然草の冒頭を覚えているだろうか。
「化野の露消ゆる時なく 鳥部山の煙立ちさらでのみ 住み果つる習ひならば〜」から、生死のはかなさをもののあわれと云々、でしたっけ? その化野である。昔の葬送の地である。
誰もいない古い石畳の街並みを通り、閑静な寺に入った。化野念仏寺(あだしのねんぶつじ)だ。拝観開始の9時より早く着いてしまったが、親切にも入れてくれたので中へ。修学旅行生や観光客でごった返してる寺院より、まぶしい緑の笹の中の誰もいない寺の方が癒される。中には、大量の無縁仏と墓が、静かに佇む。これだけたくさんあると、迫ってくる力を感じる。
墓地には6面の地蔵尊が。水をかけるひしゃくは凍りついていた。
水子供養のおもちゃが大量に供えられている仏様が。ちょっと怖いのと、写真を撮るのは不謹慎なのとで、静かに手を合わせて通り過ぎる。
ひと休みして出発。
一路保津峡へ、のつもりだったが、とりあえず目の前の道を登っていったら1車線のトンネル(トンネル内のブラインドコ一ナーが怖い)を通って、その後愛宕神社参道という激しい下り坂に入ってしまった。
いかん、これは違う。激坂を登り返してトンネルを戻って道を探したら、こんどは料金所が現れた。いやいや、これは高雄・嵐山パークウェイとかいうやつですよ奥さん。だめだめ、自転車通れないし。
残った道は…あの念仏寺の参道?いや、まさかね…と思いつつ戻ってみると、なんと正しかった。
石畳区間を過ぎると道は幅2m少々ながら府道の標識が現れ、急速に勾配がきつくなってきた。自転車で序走をつけて乗っても、こぎ始める前に失速しちゃうくらい。いやー、京都の山って実はヤバい?と危倶しながらよたよた登ると、ほどなく峠(六丁峠)に着いてしまった。
峠からは保津川の峡谷がよく見える。しかしどちらを見ても山、山、山だ。ここは本当に山深い。
そもそもこんな車ー台ギリギリの道がいまだに生活道路になってる時点であり得ないなぁ。
下りの道はなかなかすごかった。正直マウンテンバイク用のブレーキがなかったら相当怖かったんじゃないかな。超タイトコーナーのへアピンが視界に4つぐらい入るほどだ。下り切ってトンネルを通り、木立の中をずっと走っていく。
イメージ的には丹沢の沢沿いの道。延々と人家もない中続く。
そんな中、対岸に渡る吊り橋が現れた。その先にあったのは「嵯峨野観光鉄道 トロッコ保津峡」駅。もと山陰線の旧線にトロッコを走らせ、観光収入を得る鉄道である。
保津峡の一番深い部分には歩道と鉄道しかない。車道はここから迂回していまう。
歩きを除いたら、舟と鉄道がー番楽しめるのかも。なにしろ今の山陰本線(新線)も、資材を運べる道路が作れないために新しく150人乗りのロープウェイを作り、それを使って建設資材と人員を運んだのである。べつに大昔の話じゃなくて1990年あたりの話である。そのくらい、この辺は山に囲まれた土地なのだ。
駅には注意書きが。
- 雨が降る、自然の恵み、おおいに感謝! 濡れても文句を言うべからず。
- 風が暴れる、スカートめくれる 文句を言うべからず。
- 目にゴミ入れば 目薬をさせ!
- 四季の国 暑さ、寒さに文句を言うべからず。
- 荷物は汚れる 文句を言うべからず。
- ハイヒール、折れて、転んで、倒れても 文句を言うべからず。
- 物をおとすな 落ちても元に戻らない!
- 楽しみ、感じて 疲れを落とせ!
- 景色を感じて、身体を癒せ!
要約すると、トロッコに乗ってるくせに雨が嫌だ、風が嫌だという(主に女性)客に、「文句言うなボケが!」という内容だ。面白い。ちょうどトロッコがやってきた。
この路線は転回できないので、京都からは機関車がトロッコを押してくる。つまり列車がお尻から現れるという変な感じだ。ま、大井川鉄道のトロッコと同じ方式よね。中はコテコテの観光案内つきでなんか好きになれない。
また吊橋で美しい川を渡って道に戻り、ここから4km坂を登る。さっきほど酷い登坂じゃないけれど長く感じる。人影もまばらな集落を過ぎ、その先の明神峠から愛后谷林道を下って亀岡の街に出ようとしたら…
「車両通行止」。あらら〜。この道使わないとすると、次の峠までさらにこの細道を登って迂回しないといけない。どうにか通れないかなあ。
さて、林道が通行止になる理由はいくつか考えられる。
- 大規模な崩落、路面の損壊。
- 積雪。
- 一般車が林業の邪魔。
- 不法投棄の防止。
見た感じ、年中ゲートが閉まっていそうなので理由は3か4。おそらく通れるだろう。ただ中に入って事故っても絶対誰も助けてくれないので細心の注意が要る。
ということでゲート横から入る。よい子は真似しちゃダメよ。高い杉の林の中、沢沿いをずっと降りていく林道。道には杉の葉が積もり、わだちのところだけきれいだ。たまに落石をはじくのが怖い。ロードレーサーでは行かない方がいいだろうね。ガードレールは一切ない。
途中に湖があり、シラサギが飛び立っていった。風と木立の音だけが残る。ここは秘境だ。さっきから風花が舞っている。
亀岡の街でー息ついた。マックで休み、今度は国道9号で京都へ。雪がどんどん強くなり、しまいにはゴアテックスの上下を着込むことに。寒い。3度しかない。濡れた路面を、大型車にまじって走るのは怖いね。下りは40km/h出てるし。
市街まで下ると雪はなく、晴れていた。車折(くるまざき)神社、嵐山経由でユースホステルまで走り、夕食まで熟睡。意外と疲れてたのかな?
夕食は湯豆腐と肉団子でー杯、その後手造りわらび餅を作って食べた。京都らしくてよいね。
そのあとユースで知り合った一人旅の仲間と飲み会。たくさん泊まっている外人と話したり。イギリスから来た人は、今日は姫路城を見て、明日は広島に行くんだって。じゃあどうしてあんたは今京都に泊まってるんじゃ。広島に泊まればいいのに。
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