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目次
どうやっていこう
秘境中津峡
雨の中津川林道
野辺山での観測
パラボラに登ってみよう
一日目。

Run, or Die. -決死の中津川林道〜清里-

まずはじめに。到着1時間後の今の気持ちを、正直に書きます。
怖かった。正直本当〜っに怖かった。
いい歳して、泣きそうになるくらい。
でもこの現実を乗り切らないと死ぬと、本気で思うくらいに。
それほどに、今回は本気で身の危険を意識しました。
後半に書いてあるような強行は、絶対にしちゃいけないですな。
私も、もう絶対にやりません。もうできない。

っていうか、これだけすさまじい雨の悪路を走ってきたのに、持ってきたLOOXが普通に動いてるのは何故よ?
じゃあまあ、書いていきましょう。というか、今回のツーリングはこれだけになる可能性も大だな。もう疲れました。
※中津川林道を走ること自体は問題じゃないです。問題は、長野側まで降りる際の計画不足と、雨に対する認識不足。

三峰口から中津峡へ

いざ自転車に荷物を積載してみると、意外に重い。10kgくらいあると、登りもなかなか大変である。

いざ出発。
中津峡へ行く中で一番大変なのは、バスが苦労していた「R140分岐後」だろうと考えていたが、自転車ではそうではなかった。
国道140号線(R140)は、いろいろな政治家の金と権力が交錯して作られたと言われている、埼玉県と山梨県を結ぶ大動脈である。山梨側が「金丸信街道」などと呼ばれていることからも明らかである。R140と関係する巨大な建設物として、1.雁坂トンネル, 2.滝沢ダムという二つのものがあげられる。雁坂トンネルは、埼玉・山梨間の難所の峠にトンネルを通すプロジェクトであり、今では完成して大動脈を完全なものにした。建設時は、政治家が替わるごとに別の業者が受注するので混乱したそうな。そして、滝沢ダム。大滝村の荒川源流に大きなダムを建設しようという計画である。今着々と建設が進んでいる。
さて、この滝沢ダムが完成することによっていまの地面が水没するわけだが、今まで金策を尽くしてつなげた国道140号まで沈ませるわけにはいかない。そこで、ダム建設予定地の上を遙かにまたぐループ橋を作り、そこに国道を移したのである。なんか不自然な話だよね?
で、私はそのループ橋を延々と上らされた。もう、ダム建設予定地が遙か下に見える高度まで。もちろん、ダムを造りたい一心で作った道路だから、人間のことなんて全然考えてない。
もう、こんな道ですよ。↓

中津峡方面に抜けるとなると、以前のルートから400mぐらい上って、県道に分岐して今度は300mぐらい降りてきて、そこからまた延々と上らなきゃいけない。というわけで、人々の生活のためではなく、都合だけでルートを変更された国道というのがいかに不自然かよく分かりました。で、疲れました。

これ登るんですか…
→15分後→
これ降りるんですか…
中津峡へ向かう県道210号線(17号につながる)は、それはもう気分のいい道路だった。何しろ上を林が覆っていて、アスファルトが照り返さない。ヒノキチオール出まくりである。体が癒されていくのが分かる。そして渓流がそばを流れ、たまに湧水が道路沿いに出ている。この湧水で頭や顔を洗ったり、直接飲んだりする快感といったら!

道ばたのわき水

中津川にて(雨)。

中津川林道起点
そんなことをしながら走っているうちに、中津峡には造作もなく着いてしまった。秋ほど客はいなかった。河原の水に足を浸し、弁当のおにぎりを三つ食べ(四つ持ってきて一つ残しておいたのにあとで救われた)、しばらく河原で居眠り。1時間休憩した。

降り込められて

13:30に出発してほどなく、林道はダート(未舗装路)になった。…と思っていると、一天にわかにかき曇り、すさまじい夕立が降り始めた。雷を伴った集中豪雨である。たまたまトンネルを通りがかったので、そこで雨宿りをした。もう体も荷物もびしょぬれになっていたが、オストリッチのサイクリングバックだけは防水になっていたので財布とカメラは助かった(パソコンはウレタンフォームで梱包してから、アクリルケースに入れて上下をアクリルとビニルシートで挟んでおいたので助かった)。トンネルといっても素掘り。漏水が至るところからたれてくる。寒い。体温を奪われていく感覚。
夕立と思っていると、いつまでもやまない。

豪雨で前が見えない。
とりあえず、雨宿りしてお気に入りの小説を読みながら私は考えた。ここからなら、バス停に難なく戻れる。バス停からは1日4本。残りはもう終バスしかないので17:45である。日没時刻(18:30)から中津川林道の推定通過時間(18.5キロメートルを2:30)をひいた16:00までに雨がやめばそれでよし。やまなければ清里には行かず、いったん東京に帰って明日一番の電車で野辺山に直行すればいい。小海線には乗らないといけないけど、そんなことはこの際どうでもいい。
そう考えた私は、小説を一冊読み終わるととりあえずバス停まで帰ることにした。とにかく雷が鳴っているうちに山に登るなんて、死にたいといっているようなものだから。なにしろ、中津川林道の終着点の三国峠は標高1828mだし。
バス停には大滝温泉の立派な施設があるので、雨をしのぐのは造作もない。そこでしばらく待っていると、タイムリミットギリギリの15:45に、小雨になって雷鳴が聞こえなくなったではないか。とりあえずいってみよう。15km走ってヤバさに気づいたとして、時速15kmで戻ってくるならば、16:15までに引き返せば十分に間に合う。そう考えてスタートした。
今から考えれば、このときに引き返しておくべきだったのだろう。


けっこういい感じの道でしょ?

橋だけは舗装されている。
しばらくは、ダートも大したことはない。なに、セダンが越えられる道である。オフロードバイクの初心者でも走れると言われている。実際堅くしまった道なので、大丈夫だろうと高をくくっていた。そして、いつの間にか時間は16:15を過ぎていた…
もう引き返せない、そう考えるとペダルを漕ぐ足には必死の力がこもる。だが、勾配は激しくなっていく。
「斜度10%の上り坂」を「坂」だと認識する人は、この道を走らない方がいいだろう。斜度10%程度は当然。なにしろ18kmで標高差1200m上ってしまうのだ。勾配の強い所だと、3kmで100mの等高線を4,5本越えるなんてざらである。

写真じゃ分からないけど、
斜度20度は越えてます。
登れません。

崖と崖に挟まれた道。
そして、路面はガレてくる(ひどく石がちになる)。すると、もう私のBD-1などではとても歯が立たない。最下段のギアで頑張るが、10kg超の荷物を積んだ状態では、まったくどうにもならない。仕方ないので、そういうところは押して上る。ちなみにこの前最下段のギアはウイリーするので使わないと書いたが、もうどうでもよくなった。ウイリー大いにけっこう。それで走れるんならそれでよし。
途中から、道は雲の中になる。視界は次の角(かど)までない。だんだん心細くなってくる。小雨のような天気。とにかく上ると決めたんだ。上るしかないだろう。そういえば、某大学の山岳サイクリングサークルはこの道を誰も走りきれずに敗退したんだっけか。マウンテンバイクそろえてったくせに、それで俺に負けたらどうするよ? とか考える。あとで考えてみたら、それは私がやめておけばいいという教訓だったのかもしれないなぁ。走っているときには、私は彼らをチキン野郎だとしか考えなかった。何かネジが飛んでたんだろうね。

雲の中で。
そういえば、ある大学生が親のセダンで中津川林道を抜けたときに、運転のストレスだけで吐いたって噂だなぁ。…
いつの間にか全然積極的でない考えが頭の中で回っている。
そうそう、実は、中津峡からこちらは農水省の水源涵養林として広葉樹を植えているらしい。だから、完全な原生林ではないんだね。紹介の所を訂正しないと。なんて現実逃避してみる。
…と、だんだん薄暗くなってきた。雲の中なのでライトをつけないことにはどうしようもない。家でCat Eyeを改造してきたビームライトを使って照らしながら上る。いつまで経ってもあまり進まない。最後の5,6kmは本気で進まない。ほとんどの時間はここで消費したと思う。

日が暮れてきたので、山の陰に入ると視界がない(^^;↑。

ここからさらに奥秩父林道が分岐し、さらに奥へ分け入っていく。林道の入り口に「熊注意 手つかずの自然が残っています」と書いてあった。心細い上に、恐怖が重なってくる。大体「注意」っていったってさ、熊が出たら出たでしょうがないじゃないか。まあせいぜい音を出しながら走るか、とベルを鳴らそうとすると、さっきの雨で水が入って鳴らない。それに、いつの間にかスピードメーターもショートして使えなくなっている。なんてこった。

雲の中の分岐。
奥秩父林道と立体交差する。
熊が出るらしい。
行けども行けども林道は終わらない。多くの区間で押しながらえっちらおっちら登るうちに、雲がなくなってしまった。雲の上に出たのである。このあたりだと標高は1500mを軽く越えている。眼下の雲海で雷が鳴ったりしている。いよいよ前しか見えなくなってきた。

逢魔が時の雲海。標高1700m前後。
高度が上がると木が少なくなり、岩肌が剥き出しになってくる。するとこのあたりは石灰岩質だから簡単に崩落する。で、道は落石だらけになってしまう。とがった石、人の頭大の石まである。危ない、走りにくい。
18:00。日が落ちてきた。私の計算では、あと少しで着かないとおかしい。だが、行けども行けども終わりが来ない。道標に「起点からxxキロ目」と書いてあるのだが、これは実は志賀坂街道に出る峠道との分岐点から測っている? ようなので、実は2kmひいて考えないといけないことを、当時の私は失念していた。視界がどんどん悪くなっていく。心が不安で埋まっていく。林道の閉鎖時間は17:00。もう1時間もオーバーしているのだ。
まだ登る、登る。もう、気が狂いそうだ。なんど、目の前の角の先に「三国峠」と書いてある幻想を抱いたことか。そして、右目にはだんだん幻覚のような赤い光が明滅し始めた。そろそろ体力的にもやばい。
そこで、さっきのおにぎりの残りを出して食べた。アクエリアスも少し飲んだ。これで少し回復。延々と登り続け、「あと2km」と書いてあれば勇んで自転車に乗り、2km来たはずなのに山道のガードレールが延々続いているのを見て再び押しはじめたり。
左靴の底はペダルの金具のせいで割れ、剥がれ、今はもう先が残っているだけ。右靴は靴ひもを止めるための布が切れてしまって、靴ひもが靴ひもの役に立っていない。巻き上げる泥水で荷物は泥まみれ、足も股下は全部泥だらけ。体温を奪われたふくらはぎが痛い。
延々と登った末に、それはあった。トイレと「三国峠」という看板、そして「村道17号終点」という碑、「川上村 秩父多摩甲斐国立公園」という新しい看板!
「着いたぁぁっ」私は叫んだ。ときに19:00。日はもうほとんど残っていない。かすかに稲妻の走る空が薄ぼんやりと光っているだけ。人はもちろん誰もいない。

着いた!!
埼玉・長野県境。

終点。

県境のサミット。
l ←とりあえずセルフタイマーに向かって笑ったつもりでした。

サミットの先には「長野県川上村」の看板が。

川上村に入ってからは早かった(はずだった)。ライト全開で、ろくに路面が見えもしないのにスピード全開、ワインディングの下り道をひたすら下る。もう、下るしかないのだ。
道がどちらに曲がっているかはライトでは分からない。街灯も「←」もない。林の木の外郭で判断しながら、必死に飛ばす。足下の轍はほとんど水たまり。だが、そんなことは今さら気にもならない。
そして、林を抜けた。目に飛び込んできたのは闇の中の高原野菜畑。「川上村におりてきた」という感動に包まれる。が、集落はまだだいぶ遠かった。 途中に高原野菜の発送所の大きな建物があったので、フォークリフトで作業している人に向かって「信濃川上はこっちですかー!!」と叫ぶ。「そうだよ〜! あと20kmぐらいまっすぐだー!!」と答えが返ってくる。12時間ぶりに人と話したなぁ。
はじめに着いた集落、「梓山」。ここは野辺山からのバスの終着点である。人里は久しぶりだ。ヤマザキデイリーストアがあるので迷わず駆け込む。
「あー、やっと、やっと集落にたどり着いた」 と正直な感想を口にすると「ほう、大滝村から山越えですか〜」と店長夫婦が言う。少し話しながらサンドイッチとポカリスエット、おにぎりを買って一瞬で平らげる。使った体力からすればこの程度、大した補給にもなっていないのか… しかし寒い。もう、食べながら手も体も震えている。雨水に体温を奪われている。
店長の奥さんに、清里までの道を聞いた。「「NaNa」っていう大きなスーパーがこの8km先にあるからそこを左折。すると野辺山駅に着くからそこからR141に入ってね。車だと3,40分くらいだから」と彼女は親切に教えてくれた。なぜか私は、「車で3,40分なら自転車で1時間ちょっとだろう」などと考えていた。あとで思えばそれは都会の感覚。田舎では60km/hで30分走れば30kmもあるんだし、車と違って自転車は坂で大きく減速してしまうのだから。
そして、真の恐怖はここから先だったのである。

ライト電池切れ、パンク、真っ暗な街道、峠、豪雨、雷、迷い道。

スーパーNaNaまでは整備された道。だが、市街を抜ければ畑の中、街灯はない。数秒おきに走る稲妻が行く手を照らしてくれるので、それを目に焼き付けながら走る。さすがに電池式ライトで照らせるのはせいぜい10mだからね。いつの間にか稲妻が走るのを期待している。
雨はずっと降り続けている。途中通ったゲートに「現在気温19度C」と電光掲示がある。
さっき言われたとおり、スーパーNaNaを左に入る。すると、突然車の通行がなくなった。そしてまわりは森になり、道は登りに転じた。漆黒の闇に続く坂。雨の中10kgの荷物を積んで登るのはもう嫌である。…が、もう後には引けないので(考えてみれば、曲がらずにあと数km先の信濃川上の駅まで出て、そこから小海線の終列車を使って清里に出るべきだった!)、こぎ出す。見えるのは路側帯とセンターラインの白線。それ以外は何も分からない。しばらく登ると平地になり、横は畑になった。その先は下り道になっている。どう下るかは感覚とセンターラインの曲がり方と、時折現れる「>>>」に頼る。時速は30kmを越えていて、はっきり言って怖い。今の私に路面状態は把握できない。だんだん後輪ブレーキが利かなくなってきた。峠から40km程度、ずっと雨の中ワイヤーを引き続けたせいである。ワイヤーが伸びてしまったのだ。六角レンチでワイヤー長を調整すれば元に戻るが、いま雷雨の中でそんな作業をしている暇はない。
下り道が一段落すると、今度は畑の中を延々と走る道になる。畑と書いているが、においが練馬区のキャベツ畑と一緒なだけで、何だか分からない。路側帯とセンターラインしか見えないからね。そのうちにライトのビームが弱くなってきた。電池が切れてきたのだろう。ここで交換はできない。電池は持っているけど、闇の中ではさすがにどうにもならない。というわけで、ライトは切っておくことにした。電池はニッケル水素電池。しばらく電源を切っておくと、次に電源を入れたときにちょっとだけ回復してくれるのだ。だから、前から車が来たときや道標を照らすときだけ一瞬明るく光ってくれればそれでいい。
さっきのおばちゃん、「左に曲がると野辺山の駅」って言ったはずだが…と思ってツーリングマップルをライトにかざすと、あと5kmほどあるらしい。確かに「左に曲がると野辺山」だけどね。ライトも切ってしまったので稲妻や夜目に頼りつつ漕ぎ続ける。足が冷えてきた。たまにスポーツドリンクで補給する。これがなかったら、あんなに走れなかっただろう。
この5kmは長かった。延々走る。空には雲と稲妻。晴れたら満天の星空なのだろう。そうしたら星でも頼りにして走ればいいのだろうが……と、右手に警告音が遠く聞こえた。タタン、タタンと近づいてくる列車の音。小海線である。客室の光をみて少し心がなごむ。状況は改善してないけど。

小海線…のようです。

さらにしばらく行って、小海線の踏切を渡るとやっとこさ野辺山の駅である。ここまでは不安だったが、どうにかたどり着けた。駅前のco-opの自販でアクエリアスを買い、補給。救われた気分になる。co-opから綜合警備保障のおっさんが出てきて、何も言わず車で去っていった。地図で見たところでは、駅前にこの地域の幹線である国道141号線が通っているらしい。実際目の前には太い道路。車もけっこう通っている。さっきのおばさんも「141号に出ちゃうからこれで安心。清里までは下るだけだよ」と言っていた。21:00、安心して走りはじめる。

だが実は、この道は141号ではなかったのである。
はじめは疑いもしなかった。ホテルだの観光牧場だの、いろいろあったので問題もないと思っていた。しかし、いつの間にか街灯はなくなり、平地の中の一本道になり、心細くなってきた。そして目の前にT字路が出現。これはなに?
道標があって、「右にいって200m先右 小海線最高地点」となっている。地図と照合すると、どうも141も最高地点を通るらしい。私はこの道が141だと思いこんで、そのまま右に曲がった。少し行ったところで道は登りに転じる。なかなかハードな登りである。地図には「R141 野辺山峠」と書いてあったので、これだろうと思い登った。標高は上がり、木々は頭上4,5mくらいまでになる。雨足は一層強くなり、雷が迫ってきた。はっきりいってやばい。いつアルミフレームの自転車に雷が落ちるか分からない。それにしても、この中で私が体力を維持しているのがおかしい。
あとで調べると実は私の登っていた峠は、野辺山峠から南に数キロ行った獅子岩峠だったのである。

ピンク:行くべきだったコース
:行ってしまったコース

いつまでも続く峠道、心細い。恐ろしい。だがそれも、しばらくしてサミットを過ぎた。ひたすら下る。そのうちに道が細くなり、どう見ても国道ではなくなる。私もいい加減気づいた。だが、集落に出てきたではないか。消防署が、公民館がある。これなら行けるかも知れない。これは清里の市街なのかもしれない。そう思って直進していくと…
足下から「バシュウッ」という音が。チューブのどこかが破裂したらしい。
前輪がパンクしてしまった。青ざめる私。パンクを直すことはできる。部品も工具もある。だがそれは雷雨の道でできることじゃない。だいいち、夜道でパンクの穴が分かるわけがない。しかたない、強行するか。
…と、いつの間にか集落を抜けて峠道に転じてしまった。おまけに今度は一車線、何もない。一寸先は闇。もうダメだ、この状況でこれ以上は登れない。ここはどこだ?
必死で場所の手がかりを探す。こういうときは電柱かカーブミラーあたりを見るしかない。右を見ると行き違い用のスペースに電柱が。管轄のところに「平沢」とある。地図で確認すると、清里から大きく東に外れた「飯盛山」へ行くコースの途中にいるらしい。R141でなかった=越える峠を間違った(野辺山峠/獅子岩峠)ということ。つまり、もしこの集落から清里へショートカットする道がなかった場合、なんと、峠を最大で獅子岩峠→野辺山峠の2つ越えなければ清里にたどり着けないことになる。雨はけっこうな勢いで降っている。体力はもうそろそろ限界。たぶん戻ったら、獅子岩に着く前に行き倒れる。さすがに普段から無茶している私でもそのくらいは本能的に分かる。
途方に暮れていると、右前方に赤い光が! だれかが集落の家の2階でたばこを吸っているらしい。この人に道を聞くしかないだろう。

たばこを吸っているのは若奥さんであった。「清里までは、公民館の角を左に曲がって、低い峠をひとつ越えればいいよ。歩いても30分で着くから」と言う。つまり2kmぐらいか。これなら行ける! 礼を言って、公民館まで上り坂を押し、そこから左へ。もうパンクしているので乗車できない。押すしかない。雨の中ひたすら押す。峠道もこれで最後だと思えば、楽なものである。だがしばらくして、左へ太い道が分岐してからまた漆黒の闇コースになってしまった。木々も鬱蒼としていて何も分からない。さっきのは左じゃなくてよかったのだろうか。このまままた山に迷い込んでしまったら…
すると、前方からミニバンが。当然地元の人間であろう。大きく手を振って止まってもらい、「清里市街はどう行けばいいんですか?」と詰め寄る。たぶん、私の形相はすごかったと思う。乗っていた若奥さん(またかよ)が言うことには、「あと300m行くとR141だから
助かった! 私は心の中で叫んだ。「あのあの、清里のユースホステルに行きたいんです」というと、奥さん「あ、それはその、R141との交差点にあるよ。
あぁ、助かった。もう大丈夫だ。そう思い、礼を言って先に進む。相変わらず目の前は何も見えないが、3分ぐらいして、左側に水銀灯が見えてきた! あぁ、街の光よ。生活の光よ。
「清里ユースホステル」の看板、入り口はまだ閉まってない。自転車を止め、ドアを開ける。ベルが鳴る。中の人が振り向く。

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SHIMURA Harutoki <tt67136(あっと)mail.ecc.u-tokyo.ac.jp>

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