9/1 知床〜興部 輪行+87km
今日も降られましたよ。くそぅ。(結論)
|
今回のルート。クリックでGoogle Mapsに飛びます。(直線部は輪行区間)
|
朝5時に起きて、荷造り。今日はウトロまで自走したあと遠軽まで輪行して、その後オホーツク海沿いに北上して興部を目指す。輪行も含めるとだいぶ長距離になる。
雨にぬれたあとしばらく放置しておいた自転車を見てがっくり。当然だがオイルが全部落ちてチェーンがさびている。革サドルもけっこう傷んでいるなぁ。ま、仕方がない。雨のせいではないが、チェーンリングももういいかげん寿命だ。歯がすりへって三角形になっている。漕いでいると微妙にチェーンがカタカタして嫌な感じだ。
それはともかく、天気は晴れ。ここしばらくで一番の天気だ。知床連山が陽光に輝き、その光に緑が映える。海も山も見晴らしが素晴らしい。文字どおり朝飯前にるんるん、と坂を登り、ウトロの市街へ。
ここからはバスで斜里を目指す。自走しようかとも思っていたのだが、その先の列車の時間の関係で、仕方がない。もう夏休みも(とっくに?)終わった高校生と中学生が途中でどんどん乗ってくる。斜里の駅までの風景はずっと絵のようだった。知床連山、斜里岳、海、ずっと続く畑。
斜里からは釧網本線。右手に海と原生花園が、左手に小清水の湖が見える絶景路線だ。しかしこれは国道から見るのが一番素晴らしかったかな(数年前の日記参照)、なんというか、鉄道自体も絵になるので、乗るのではなく客体化したい感じである。
網走で特急オホーツクに接続する。最近北海道の特急は、車内で到着の一定時間前までに予約すると、その分の駅弁をもってきてくれるサービスをやっている路線がけっこうあるようだ。話は変わるけれど、ちょうど昨日が釧路方面の夜行特急まりもの最終運転だったようですなぁ。一度お世話になったので少し感慨深いものがある。そんなことを考えているうちに寝てしまった。遠軽に着いたのは昼前のことであった。遠軽の駅弁はかにめし。おばさんが特製の「かにめし」というプレートがついた帽子をかぶって弁当を売りに来て、その後一人で道具をかかえて駅弁屋に帰って行く。なんだか、その帽子が妙に可愛かった。
自転車を展開したあと、海からの向かい風の中を湧別へと走っていく。この道を走るのは二回目になる。1時間少々で中湧別に到着。よく保存された鉄道の駅跡を見て休憩。しかし鉄道資料館っていったいどこにあるんだろう。この閉鎖された駅跡と貨車のことなのかしら…
中湧別からは海沿いの国道238号線に出る。前回はここから佐呂間方面に行ったのだが、今回は逆。北西に行く。風はだいたい北東から吹いていて、ここからはあまり向かい風にはならない感じだ。海沿いとはいっても、紋別を過ぎるまではなかなか海など見えず、牧草地の雄大な風景や、ときには湿原の中を抜けていくことになる。
紋別まで30km、これがなかなか長かった。沿線は名寄本線の跡に沿っているはずなのだが、どうもよく分からないところが多い。軽い登りと軽い下り、それをずっと繰り返していく感じだ。前は意識しなかったけれどここは交通量が多いな。都市間輸送トラックやトレーラーが多い。そして人工物も常にある感じだ。この程度でそんなことを思っているのは、知床の大自然に慣れてしまったからだろうか。ミルクを満載したトレーラーが出てくるのを見るにつけ、「あのタンクの中にケフィアを放り込んだらどうなるだろう、わくわく」と妄想してしまう。
はじめてやってまいりました、夏の紋別。以前来たときは冬で、ガリンコ号(砕氷船)で流氷を見たりしていたのだが、なんとなくそのときに回ったところを通ってきた。夏も紋別港に停泊しているガリンコ号、前泊まった民宿、夕食がうまかった飯や「まるとみ」。あのときどうして、そのあと自転車でまたやってくるなどと思っただろう。あれから5年か…
夏の紋別は港中が生臭い。魚で肥料を作ったり、ホタテの貝殻を山のようにためたりしているせいだろうか。道端にホタテの貝殻が落ちている、という風景も私の目には珍妙で面白いものだ。
ここから北に20km、興部(おこっぺ)が今日の目的地。紋別を出ると右側にすぐ海岸線が迫り、雄大な景観が広がり始める…と思ったら雨が降ってきやがったよ畜生! あー、今日ぐらいは晴れだけで通せるかと思ったのに! また雨具を来てシューズカバーを着けて走り始めた。気温は17度。しとしと降られていると、さすがに雨具なしでは風邪を引く。景色もあまり楽しめなくなって凹んでいたが、気が着くと道の左側にずっと名寄本線の道床が続いているじゃないかっ。道床は自然に戻っていくので気づきにくいこともあるが、たまに川をわたると明らかに橋が残っているので、それと分かる。だいたいがプレートガーダー橋(私の好きな橋です)、見るたびに無駄にテンションがあがっていく。
途中沙留(さるる)という可愛い名前の港町を通過。だいぶ手前からこれが見えていたので、最初興部かと思ってがんばったのだが、勘違いだったのが悔しい。ここの漁師の奥さんは「さるるの女」だな。‥この辺の人は100回は言われてるかな。どうかな。
そうそう、さるるで思い出したけれど、小樽にあるとほ宿で「ら・るる」ってのがある。おしゃれな名前とパンフの素敵な文句に誘われて予約して7月に行ってみたのだが、なんとこれが廃病院の、小児科病棟のあとだったのだ。それと知らずに行ったので正直びっくりだったわ。天井に消えない子供の手跡がついていたり、洗面所のコップが金属製だったり、廊下に妙に子供向けの本が多かったり、待ちあい用のベンチと目隠しが意味ありげに置いてあったり。しかも「立ち入り禁止」と書いた暗い部屋がたくさんあって、ど〜うにも想像を掻きたてるホラーな宿だった。あれはなかなか大の大人でもびびっちゃうところがある。肝だめしだと思って皆さんも行ってみたらどうだろう。
おっとそれはさておき。小雨に降られながら興部の市街に到着。跨線橋があり、下に廃線跡のサイクリングロードが走っていた。おおっ。これはもしかして興浜南線の跡では? 興部は内陸からきた名寄本線が紋別側に行くのと、そこから北の雄武へ行く興浜南線の分岐点だったのだ。うれしくなってサイクリングロードをたどっていくと、道の駅おこっぺがあった。そう、ここは興部駅跡。バスターミナル兼道の駅なのだ。しかも、名寄本線のディーゼルカー(たぶんキハ20系)を改造した公営のライダーハウスがあるのだ。なんと無料。電気もトイレもある。道の駅には鉄道記念館もある。“駅”前には銭湯もあり、1kmもいけばコンビニが。なんて貧乏旅行者にやさしい場所だろう。
ま、そもそもこの辺は宿が極端に少ない地域なので、普通に助かる(ここから北は、100km先までライダーハウスやとほ宿がない。ホテルや小さな民宿はたまにあるけれど)。そのせいか、だいぶ中はにぎわっていた。
なかでも出色は、九州からママチャリでやってきた推定30過ぎくらいのママチャリダー(上の写真にうつってる男)。四国一周をもママチャリ(リアキャリアなし)で達成し、半年かけてここまで来て、今北海道二周目らしい。頭がおかしいとしかいいようがない。他にも、日本一周中の学生?ライダーが二人。
あー。いいなぁ。なんで私は暇な学生時代に、夏をこうやって過ごさなかったんだろう。もう戻れないあの日々を後悔してもどかしい気持ちになる。もしこれを読んでる大学1〜3年生ぐらいの暇な人々がいたら、ぜひ旅に出てほしい。できれば自転車で。もちろんバイクでもいい。別に自分探しとか、若さゆえのあやまちとか、そんなのどうでもいいんですよ。動機も理由もいらないから、いろんな人や風景と出会って、友達を作って、人々の生活をその目で見て、これから出ていく社会を見つめてみたらいいんじゃないかなぁ。あんまりえらそうなことを言える立場じゃないけどさー。
雨はいまだに降り続いている。列車の車内を利用したライダーハウスは初体験。今日は興部のキハ22から、よしなしごとをかきつくってみました。明日もあんまり天気よくないんだよなぁ。どうしようかなー。しくしく。
追記:手もとの資料を調べたところ、ライダーハウスになった列車はキハ22 202と251の2両のようです。もちろん、当サイトでは「鉄キモイ」といった凡庸なコメントを禁止しています。えぇそうですとも。
|