9/15 苫小牧〜函館(鉄道)
今日は函館まで鉄道で輪行だ。天気も悪いし。近くの糸井駅(業務委託駅)はホームまで自転車を乗り入れられる。これは小駅のメリットだな。さくっとパッキングを済ませると寝台特急力シオペアが通過していった。このあたりはたしか線路が30kmぐらい直線なので、もう苫小牧を発車した時点でライトが見え、列車の到着する7分前には既に形式まで判別がついてしまう(←一部の人だけかもしれない)。
カシオペアのあとトワイライトエクプレスが通過し、こちらの線路には711系3連の東室蘭ゆきがやってきた。室蘭本線は特急はたくさん通って速いが、各停に関しては2時間に1本くらいしかなく、しかもどーしょうもなく遅い。だがそれがいい、と言えてこその旅人だが。
車内は高校生が多く、彼らのいるあたりはなんとも臭い。どんだけ整髪料やら香水やらつけてんのか。後部車両に席があいていたので座る。車窓は…うーん、半端に町で国道の交通もそこそこ。ぼーっと外を眺める。
東室蘭で1時間待ち。キハ40と150の2連、長万部ゆきに乗りつぐ。キハ150は席数少ないなあ。2+1配置でゆったり。しかしこれも途中の豊浦で切り離され、キハ40はここから単行となった。あと何年だろう、これで旅ができるのは。
うとうとしていると長万部に着いた。想像していたより相当小さな町。駅前には食堂が2つあるくらいだ。乗り換えが1時間あるのでその1つ、「かなや」へ。名物駅弁のかにめしを、店で食べられる。お重に入って温かく、みそ汁もついているので、車内で食べるロマンを別にすれば、こっちでもいいんじゃないかな。
さて、再びキハ40単行函館ゆきに乗る。ここから3時間だ。さきほど長万部の手前で静狩峠を越えたので、あとはド平坦。海に肉薄する区間もあった。森駅で11分停車したので、名物駅弁のいかめしを手に入れようとキヨスクへ。おばさん曰く、
「さっき売り切れちゃったんですよー。駅前の製造元の店にもなくなっちゃってすいません」
と、「いかめし」ののぼりをしまっている。がーん。デパートの駅弁大会や、北斗号の車内販売で買うより、森駅で買ってこそのいかめし、と思ったのだが(なかなかやる人はいないハズ?)。無念。
列車は大沼あたりで内陸に入り、大沼公園でハイキング帰りの客を大量に乗せた。駒ヶ岳から下ってきたのだろうか。登山客の爺さん達が酒盛りを始めた。汗臭い。酒臭い。私もサークルで奥多摩なんかに行くとよくやるんだよなあ。人のふり見てなんとやら、だろうか。
走行するうちに函館駅に着いた。16時。江差線の隣のホームに着いた。江差線はキハ40二連であった。こっちの方が長いじゃない。さて、今日はこれからどうしようか何も考えていない。どこに行くのかも、泊まる場所も。とりあえず自転車を展開し、ぶらぶらと港方面に出てみた。
お、青函連絡船があるじゃないか。JR転換後、青函トンネル開通まで活躍した摩周丸である。ま、行かない理由もなく突撃する。ヒストリックカーの記念館とくっついているらしく、共通入場券など売られているが、車の品揃えについて受付に聞いてみたらほとんどがアメ車とのこと。ならいいや。イタ車なら…まぁそれは今度イタリアにでも行ってアルファロメオ博物館でも行きますかね。さて、イルカのロゴの青函連絡船。中はいくつかの座席が保存されている他はだいぶ改造され、博物館になっている。
鉄道を運んでいた連絡船ならではの装備、例えば貨物を積み込むときに注水して傾かないようにするシステムであるとか、レールの高さを合わせてつなげる仕組みであるとかが興味深い。当時は55分で積み込みを終えていたというが、最近のカーフェリーももうちょっと早くできないのかしら。東京→沖縄便なんて、下手したら半日ぐらい延々と積み込んでいる気がするんだが。あれはしょうがないのかねぇ。あとは60年代までやられていた飾り毛布。毛布をうまく折って季節折々の(初日の出、とか)ものを作り、寝台にしつらえておくというサービスだ。これがなかなかよく考えてあって、毛布の端に布が縫いつけてあるのなどをうまく利用して海や扇などを表現し、美しく折ってある。十数種類のバリエーションがあるようだ。すげえ。これを二等寝台とかでもやってたのか。
操縦や無線のあたりも適当にいじり回すことができて面白い。レーダーも動くし、モールスも(形だけだが)電鍵を打って遊ぶことができる。当時のビデオとかを見ると、モールス打つの速いね。私もアマチュア無線局とかやっているが(JQ1YQHです。よろしく)、モールスはとてもじゃない。ひとしきり遊んで出てきた。うむ。鉄道とか好きな人には楽しい施設だ。
さて、ふと函館山の方を見やると、雲が低くたれ込めていて山頂を見ることができない。これは今日はダメだなぁ。夜景は見えないだろう。諦めよう。すでに少し雨がぱらついてきた。これから雨になりそうな気配である。
夕飯は駅前のラーメン屋、「海峡」で。ここはキヨスクのロゴが貼ってある珍しいラーメン屋であるが、それもそのはず、青函連絡船の食堂の人気メニュー「海峡ラーメン」をここで守っている店なのだ。当然突撃し、海峡ラーメンを注文。塩ラーメンにエビ・イカ・ホタテが入って750円だったか。味は…まぁいいんじゃないの。口内炎が痛むので全部スープを飲めなかったのが悔やまれる。ちなみに口内炎は帯広でトウモロコシに噛みついたときに八重歯で唇もろともやってしまったものだ。
さて、もう雨が降りつつあるので今日は漫画喫茶に行って夜を越そう。GPSの電池が切れそうなのをだましだまし使い、5km強先のお店へ。しかし函館は北海道の中でも格段に歴史の古い町、計画して建設されたりしてないので、全然条里制がなってない。おかげでGPSに目的地の座標だけ入っていると、変な道に簡単に迷い込む(条里制なら最短距離で接近できるんだけどねぇ..)。海に近い道を走っているうちに雨は土砂降りに変わり、ゴアテックスを着ても靴の中までびっしょりだ。あーほんとにシューズカバー買おう。視界も極端に悪く、嫌な感じ。
そしてGPSに従って走ると湯の川温泉という温泉街を抜け、細い住宅街を斜めに走り、団地…公園…砂場…遊具の間…おいおい。雨の中俺はなんで公園の中をまっすぐに自転車で走ってるの。泥まみれだと漫画喫茶も入店拒否して来そうなので、気を付けながら舗装道に戻り、坂を登ると…! おぉ、さすがGPS。10mの誤差も無く漫画喫茶の横に出ましたよ。あはは。
9/16 函館〜東京
朝外を見ると明るい曇り空。これはいけそうだ。自転車を確認すると、チェーンやらボルトやら、他の可動部もだいぶ錆びている。一晩だけでこれほどいくものだろうか。まぁ、沖縄でもそうだったけれど、ここは潮風の吹く町。道にたまる塩水を巻き上げ、一晩濡れたまま(いちおう屋根の下には置いたけど)放っておくだけで茶色の錆が浮いてくる。恐ろしや。冬は雪も降るし、車の耐用年数は少なそうだねぇ。
さて、近くの競馬場のローソンに自転車を置き、市電で再び函館市街方面に向かう。飛行機が出るまでの時間、元町あたりの坂道を散歩しようという計画だ。これは別に急坂を上り下りしたくないから電車にしたとかじゃなくて、単純に市電に乗りたかっただけなんだけど。本当だよ。すれ違う車両は吊り掛け駆動からVVVFインバータ、連接車までいろいろとあって面白い。
途中五稜郭で恐ろしい人数の中国人が乗ってきた。50人以上いただろうか。団体で、みんな高級なカメラを入線してくる市電に向けている。金持ちのツアーかしら。しかも奴ら、後乗り前降りの原則も、整理券の存在も知らないので、出口から大挙して乗ってきやがる。迷惑だなぁ。突然訳の分からない言葉の飛び交う満員電車になったわけだが、その中に一人ガイドの日本人がいたらしく、全員分の代金を払っていた。そのあとまた彼らは入り口から大挙して降りていった(苦笑)。
私は終点の函館どっくまで乗り、そこから外人墓地へと坂を登っていった。丘から港を見下ろすと気分がいい。丘の中腹をロシア領事館、イギリス領事館とぶらぶら歩いてきたが、途中どうも飛行機の時間が気になって仕方が無く、あまり楽しめた気がしない。やはり急いで旅行するのはいけない。
イギリス領事館の近くでどこかのガイドが曰く、
「ここは各地の味を使ったソフトクリームの店が並ぶ横町で有名なんですよー」
で、実際歩いていると
「夕張メロンのソフトクリーム、今なら200円にしときますけどどうですか」
とかお姉さんが迫ってくる。いや、ADSLとか葉書配る(イルカが泳いでる奴とかな(笑))お姉さんじゃないんだから。鬱陶しいわ。
ま、町並みもよかったが、山へまっすぐに上がっていく急坂の並木道は独特でよい。市電の駅に着いた頃にはちょうどいい時間になっていた。函館の市電は、定刻で運行しても5kmを進むのに30分以上かかるというステキな遅さであり、正直自転車で来た方が遙かに時間の節約にはなる。ここからさっきの競馬場まで7kmぐらい、40分かけてのどかに電車は走る。なんか途中から街宣車と併走する成り行きに。よく知らないんですがこの人達は何をして生計を立てているのですかね。軍服のようなユニフォームを来た二人組が乗って、スキンヘッドが運転していたが。あとどうせ中古のバスでも改造してるんだろうが、街宣車を運転する人は大型免許持ってるんですかね? しかし平均時速10km/hの電車よりはさすがに街宣車の方が速く、視界から消えていった…と思ったら別の政治団体(笑)の街宣車が後ろから追いかけていった。何やってるんだろ。さて、電車は競馬場に着いた。
ふう。今年の北海道はこんなもんでいいだろう。そろそろ東京に帰るとするか。自転車にまたがってまったりと丘を登り、その上の空港に到着。
「白い恋人」は賞味期限偽装の不祥事を起こして以来、すっかりお土産屋から消えてしまった。六花亭とROYCE'の売り上げはだいぶ増えたことだろう。六花亭のマルセイバターサンドを買って搭乗。ちなみに、これを作っている工場は4日目に通った広尾線沿いの街、中札内にある。
搭乗すると、席は入り口を入ったところであり、なんか目の前に後ろ向きでフライトアテンダントの化粧の濃いおねーさんが座っているのでどうも目が合う。気まずい。そんな雰囲気を察してか、離着陸時にはいろいろと当たり障りのない話題を振ってくるのだがこれもなんか気まずい。でも機内でぐずる赤ん坊を一瞬で笑顔に変えるスマイルはすごいものだ。さすがこのオバサン、プロである。
東京はいつものようにクソ暑く、また連休明けから忙しい毎日が始まる。どうせ3日もしないうちに私は現実に疲れ、死んだような目をして夜中の1時過ぎに家に帰る生活になるんだろう。ま、しばらくは仕方がない。旅の途中、えりもで出会ったような自由人に、少しだけあこがれないこともない。人生の節目に数ヶ月時間ができたら、私も旅に出て世界と自分を見つめ直したい気もする。とはいえ、将来の見通しもないまま放浪できるほど肝は据わっていないんだよなぁ。ま、どうせ来年もまた一週間程度になるだろう。道南の日本海側とか、または道東の中標津、開陽台あたりから女満別、紋別あたりに行くか。道央の名寄や朱鞠内あたり、夕張、占冠、美幌あたりも…うーむ。また一年かけて夢をふくらませるとしよう。
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