9/19 上川→北見峠→湧別 113km
4日目。青:15km/h→赤40km/hに対応します。 |
今日は天気も大体回復したので、7時半にライダーハウスを出発し国道273号へ入る。ここからずっと石北本線に沿って遠軽(えんがる)へと抜けることになる。今日の最大の難関は、大雪山系の北側、北見峠である。とはいえ標高850mへのアプローチは20km以上あるので平均斜度にしたらどうということもないのだが。
国道はよく整備され、路面も非常に安定して走りやすい。通る人は「この道路には金がかかってるな。宗男パぅワーなのか?」と思うかもしれない(実際、横には“旭川紋別(もんべつ)自動車道”というスゴい道路が原生林の中を建設中だ。たぶん宗男パワーで)。しかしこの道は今よりずっと昔に、金よりも人の命を犠牲にして造られたのである。国防・都市間輸送の要として、網走から160km以上にわたり内陸を貫くこの高規格の道は、建設にわずか7ヶ月しか要していない。驚くべき突貫工事である。っていうか割り算すると1日1km弱作ってるわけになる。あり得ないよな。当然昼夜を徹する重労働を強いられた作業員は、1200人中180人以上が過労死・病死し、900人が病気になったという(!)。人夫は多くが網走の囚人で、死んだそばからそこら辺に適当に埋められ、使い捨てられていったのである。今までに5, 60人しか掘り出されていないらしいので、大半はまだそこら辺に埋まってるんだろう。淒い話だ。
現在国道と並行する旭川紋別自動車道が無料で通行可能なので、この国道333号を通る車は少なくなっている。広く明るい道をだらだら登って北見峠到着。
さて、ここからオホーツク海までの70km余はずっと追い風の下りである。ラッキー。下りは50km/hで走れる高速ワインディングルート。車も少ない原生林の間を楽しく駆け降りる。ひゃっほー。囚人さんありがとう(←不謹慎)
途中そろそろ景色が開けてきたところで石北本線と合流した。すると突然踏切が鳴り出したではないか。本数がとても少ないこの線でまたもや列車に巡り会うとは。やってきたのはDD51プッシュプルのコンテナ貨物。非常にゆっくりと通過していった。
この踏切の先に、昔から行きたかった駅があった。“奥白滝”駅である。これは以前から「1日平均乗降客数0人」という不名誉な記録を毎年達成し続け、無駄に乗り降りする鉄道ファン以外のユーザーがいなくなったあげく、信号場に格下げされてしまった駅なのだ。そもそもこの周辺十km程度の集落はずいぶん前に廃村になってしまったので、一帯の数駅(天幕、中越、奥白滝)はまとめて信号場に戻ったのだ。その奥白滝駅跡は、国道から100m程度入ったダートの中にあった。道にはルピナスと秋の草が揺れ、当然誰もいない。涼しい秋風の中で駅は、静かに朽ちていくところであった。辺りに響くのは虫の声と風にそよぐ草木の音だけ。しばらく座っていたら蜂が追い払いにきた。もう人間の場所ではないのかも。
さて、あとはオホーツク海へと走るだけである。ここから今日はとにかく速かった。ゆるやかな下り坂は荷物を積んでいるとスピードが落ちない。Shimano Capreoのリアスプロケット(後ろの歯車)を9T(歯数)にセットしたまま、遠軽までの40kmを、時速37-40Km/hぐらいで走り抜けた。ふふふ。この日のために3万もかけて足回りを改造したのだよ。
途中白滝の街で小休止。ちょうどオホーツク号がやって来るところであった。またもや石北本線の列車に会ってしまった。その後に寄った丸瀬布(まるせっぷ)道の駅は、ヤマハのピアノ専用の木材を生産する工場の横にある。牛乳ソフトクリーム250円。それほど濃厚というほどでもなく、どちらかといえばシャーベット。しかしあとで腹の調子が悪くなったあたり、さすがはしぼりたての牛乳から作っただけのことはあるか(私は高温で殺菌してない牛乳を飲むと腹をこわすのでス)。
遠軽までも雄大な牧草地の間をただひたすら飛ばす。途中に現れるー面の菜の花や、地平線まで続くとうもろこし畑に息を飲む。こういうのが北海道旅行の醍醐味だよな。もちろん美味い飯や、街の観光地に重きを置く人の方が多いだろうけれども、私にとってはメインじゃない。今日の昼食はバナナ、昨日もバナナ、おとといはあんパン。あと乳酸菌飲料。いつもと何も変わってない。
ま、せっかく遠軽に来たので、市街に行く前に有名なコスモス畑を見に行くことにした。方向を変えると途端に向かい風になる。湧別(ゆうべつ)川を渡りながら見上げると、空の半分が真っ黒な雲で覆われてきて、すぐに強い雨が降り出した。急いでゴアテックスに着替え、走り出したがとても激しい雨で走行を断念、見つけた商店の軒下へかけこむ。ここが原野じゃなくて本当によかった。
ひとしきり降って雨はやみ、私もバナナを食べ終わったので公園へと丘を50m登る。50mって大したことなさそうだけどビル17階分ぐらいですよ奥さん。心の準備もする前に荷物積んで登らされると気分もなえる。着いた先はいかにもな観光地だった。コスモスは綺麗だったけれど、緑の部分に対する花弁の割合が小さいので、ー面に咲いていても全体では緑に見えてしまうのが残念。とはいと丘に1000万本も咲けばそれなりにすごい。さっきから期待するあまり、だれもいない国道で山ロ百恵の「秋桜」を歌いながら走ってたのだが(ぉぃ、本数集まればそんな儚いイメージでもなくなるものだ。
遠軽から先は平野を地平線へー直線、上湧別を経て中湧別へ。このあたりの地名は、「南兵村3区」といった屯田兵時代のものが残っていて、バス停の名になっていたりレンガの柱に銘板に刻まれていたりして興味深い。当時のフロンティアであったことをうかがわせる。
中湧別は、昔遠軽から紋別、名寄(なよろ)へと延びていた名寄本線と、網走へ向かう湧網(ゆうもう)線との分岐点だった街。今となっては両方廃止され、面影もないかと思って走り抜けようとしたら…!!横目に見た道の駅の敷地内に踏切があるのが目に入ったではないか。Uターンして入っていくと、そこには当時のホームのー部と線路、跨線橋が残され、「鉄道記念館」となっていたのだ。
駅名標も時計も、ホームの注意書きもそのままになっており、そこだけ時間が止まっていた。車掌車を改造した記念館自体は鍵がかかって立ち入れなかった。ちなみに、「さよなら名寄本線」のビデオ等は役場に頼むと見せてくれるらしい…
さて、では行くか、と思ってふと下を見たら、静置されているのはあの「軌道自転車(レール上を走る自転車。4人乗りで前の2人がこぐ)」ではないか。ワイヤーで固定してあるが試しに乗ってみた。ちょっとこぐと…おぉ!レールの上をちょっと動く!おー。…って、あんまりやらない方がいいかもね。
さて、中湧別からは国道238号、通称オホーツクラインで東を目指す。
今日の目的地は芭露(ばろう)という小集落のライダーハウス、「旅人の宿」。併設された食堂で食事をするとタダで泊めてくれる。内装はさすが無料、家は傾いてるわ、虫だらけだわ、トイレは紙ないボットンだわ、シャワーは百円で「瓦斯(ガス)の自動販売機」があって基本は水だわ、まぁさすが無料(笑) 食堂の海鮮ちゃんぽんは、ほたてとえびの出汁と強めの塩味がライス(追加で頼んだ)に合ってGood。ご飯は17:00までに食べてね、と都会ではあり得ないことを言われてさっさと食べた。宿にはもうひとり、大型バイクでキャンプしながら来たおじさん。なんとなくダベって寝る。
明日は網走までサロマ湖を走り、原生花園のユースへ。やっとオホーツク海まで来たよー。
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