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目次
出発
海上
→沖縄
南部一周
首里
遺跡と海上道路
ドライブ
残波岬
波照間島
石垣島
終了

9/9 サトウキビ畑のツーリング。

今日のコース

今日は島の南側をぐるっと走りに行った。宜野湾から県道29号で上原交差点へ、そこから一気に海へと駆け降りる。淡青色の海と、丘全体が一気に見渡せる風景に感動…したいところだが、坂が10%を越えていて周りの車も速く、しかも沿道の草が腕を切るように当たってきて怖いので前方に集中する。降りきったところに走っているのが国道329号。海から少し離れたところを走っていくため海はあまり見えず、しかも交通量が多い。ただひたすら走る。途中でサトウキビの茎をはねて驚いた。はじめての体験だ。当たり前だな。


沖縄の家は涼しそうだ。

海へ一気に下っていく。

さて、いきますか。

その後与那原交差点で左へ折れて国道331号線に入る。多くの車は右へ行って那覇市へ向かってしまうので、ここで交通量が減った。佐敷町に入り、道はサトウキビ畑とヤシの並木の中、海沿いを走るようになった。気分はいい。ただ、台風の影響で向かい風なので頑張ってもなかなかスピードが出ない。半島の最東端を過ぎ、知念村に入ったところから坂が始まり、港からどんどん登りはじめた。登る途中に「沖縄で一番の聖地」とされる「斎場御嶽(せーふぁうたき)」への矢印があったので、そちらへ入っていくことにする。


サトウキビ畑が出てくる。

南国情緒

…とその前にファミリーマートでおにぎり(塩味60円!)と桃ジュースを凍らせてペットボトルに入れたもの(沖縄オリジナルなのかなぁ?)を購入、早速食べる。シャーベット状になった桃は熱くなった身体を冷やすのに最適だった。しっかし、
店員「おにぎり温めますか?」
にはびっくりした。北海道ではよく聞かれたけど、沖縄で聞かれるなんて、まさか、ねぇ。


斎場御嶽入り口。

城の中へ

聖地

最奥の巨岩

斎場御嶽は世界遺産に登録されている城(グスク)であり、聖なる土地だということだ。最奥の、巨岩が2つ互いを支えあう形になっている遺跡は、2つの岩の間から吹き出てくる風がとても涼しかった。こういう所だから霊場とされるのだろうか。それとも霊場のオーラなのだろうか。
御嶽の順路を歩いていたら、なにかの採集に来たらしい少女に「こんにちはー」と挨拶された。こんなこと東京ではありえないやね。駐車場へと帰る途中に池があったのだが、これは米軍が打ち込んだ爆弾であいた穴に水が溜まったそうだ。

さて、涼しい気分になったところで再び坂を登る。登ると、水色から濃青色への見事なグラデーションを織り成す海と、集落が一望できて息を飲むほどすばらしい景色。だが、すぐに下り坂になって気分をそがれる。そしてまた上り坂。まぁ、これが一般的な海岸線というものだと言われればその通りなのだが、上り下りはいくら景色が良くても疲れるよな。そしてこの炎天。太陽とその照り返しで路上は40度をゆうに越しており、陽を遮るもののない上りだと風も切れないから本当にきつい。何度も力尽きそうになっては水(さんぴん茶)を飲み、日陰で体調を落ちつけてから走り出す、それの繰り返しだった。次の目的地は平和祈念公園で、十数km先にある。しかもそこまでとにかくアップダウンがあるような感じがするなぁ。


見事な景観その1

見事な景観その2

粘ること10km少々、そろそろ朝飯がさっきの塩おにぎり1個の身としては倒れそうになってきた。道端の「沖縄そば」の看板で立ち止まり、店に入る。小さいが店主が手間をかけて作り込んだ感が強い、こぢんまりとした店だ。稚内モシリパユースホステルを思い出した。おばさんが一人でやっていて、すぐにハーブティー(なのかな?)を出してくれた。もう体中が熱くてたまらなかったので3杯ほど飲み干した。沖縄そばは思ったより三枚肉が小さく、こんなものかと思って食べはじめたが、麺のこしも出汁も肉もいい感じになっていた。食べはじめるときには、さっきあれほど飲んだせいでもう胃が受け付けないかと思ったが、すんなり食べてしまった。しばらく安静にしていたら血の温度も下がってきたらしく、やっと自然体で動けるようになった。店のおばさん曰く、
「私ちょっと氷買ってくるから、そこで休んでて。寝てていいからー」
なんというかアレだ。東京だったら1日に10人は食い逃げされそうな大らかさだ。というわけでお言葉に甘えてごろごろ寝ていると、お客さんが。とりあえず起きあがって店主が帰ってくるのを待つ。
ほどなくしておばさん帰還。沖縄のみかん(シークヮーサーだっけ?)を1つくれた。ありがたや。食べながら、こんどは玄米茶と緑茶をブレンドしたというお茶をいただく。1時間ほどつぶして、14:30。とりあえずいちばん日射しの激しいときはやりすごしたので出発。
平和祈念公園までは小さな丘をひとつ越えなければならない。坂は今まで以上にきつかったが、沖縄そばを摂取したあとなのでトップギアであっと言う間に越えた。平和祈念公園は下り坂の途中にあった。ブレーキをぎゅうぎゅうかけて止まり、さて資料館でも行こうかと思っていると、スコールがやってきた。さっさと屋根のあるところに自転車を止め、資料館へ。冷房が効いた館内で主に沖縄戦に関する史料を見た。けっこう外国人が多く来ていた。しかし、変なセンチメンタリズムや愛国心みたいなものはおいといても、展示を見ながらヘラヘラしてるアメリカ人には殺意が沸くよな。やっぱ(笑)
展示は多少なりとも感情を煽るように作ってあって、沖縄戦末期のあたりはさすがに直視できん。なるべく冷静な立場で見ようとは思ってるんだけれどもねぇ。
さて、スコールもおさまったので祈念公園内へ行って慰霊モニュメントでも見ようかと思ったが、女子大生のグループがモニュメントの形に組体操みたいに支えあって写真を撮ろうとしたりとか馬鹿なことをやってるので(苦笑)、結局他のものは見ずに次の目的地、ひめゆりの塔へ。ひめゆりの塔へはすぐに着いたのだが、こちらはさすがに観光地化が進みすぎていて引いてしまった。せめて手をあわせておく。


沖縄そばの店。喫茶店みたいだ。

平和祈念公園。スコール前で真っ暗。

スコールの去った平和祈念公園

ひめゆりの塔

このまま那覇の方へそのまま国道331で戻ろうかと思ったのだが、沖縄本島の南にある喜屋武(きゃん)岬へ行かないことには、いつもツーリングするにつけ灯台をまわっている私としては気がすまない。
国道を逸れると、これまで以上にサトウキビ畑の中の道になる。本当にサトウキビって風で「ざわわ、ざわわ」って揺れるんですよ。風情を味わいつつ集落の中心部へと走っていく。サトウキビ畑の肥料のにおいにももう慣れた。このあたりは古くからの集落の形が色濃く残っている感じがした。沖縄戦では米軍が上陸してきて多くの犠牲をはらった南部の農村だが、石造りのがっしりした垣や、角に必ずつけてある「石敢當」の文字がいかにも沖縄らしい。ごく小さな集落の中心部を過ぎると、海辺のサトウキビ畑の中を通っていく1車線の農道になってしまった。おお。こういうのを待ってたんですよ。沖縄らしいじゃーん。観光客用の「→喜屋武岬 1.8km」という看板がいかにもそぐわない感じで、それもまた果てに来たという旅情をかきたてる。途中数ヶ所の角を曲がって、最後は背丈の倍くらいもあるような亜熱帯植物の荒地の中を細々とくねくね抜けていくような道になってしまった。狭路でブラインドコーナーの連続だ。そして最後にぱあっと開けた大展望。土地が急に崖になって海へダイナミックに落ち込み、海は南へとずっと続いていた。珊瑚礁の浜辺などとは赴きの違う雄大な景観だ。沖縄戦の当時は逃げ場を失った島民達がたくさんこの断崖から飛び下りて命を失ったんだとか。それを考えて崖を見ると怖いなぁ。


どこからどう見ても典型的沖縄。

右も左もサトウキビ。

喜屋武岬から東シナ海をのぞむ。

喜屋武岬灯台。

絶景の喜屋武岬だが、沖縄戦では追いつめら
れた住民が数多く飛び降りて死んだという。

三姉妹。

さあ、あとは帰るだけだ。と、集落から国道へ向かう道を走っていると、「三姉妹」という食堂を発見。まぁ何を思ったとは言わないが(笑)。写真を撮っていると、背後に眼鏡な小学生が。「こんにちはー」と挨拶された。とっさに挨拶を返したものの、こんな怪しいヘルメット+サングラスの男が「三姉妹」とか写真に収めてるというこの不審極まりない状況で、よくあの娘は挨拶なんかできたなぁ、と感心。地域教育ってやつですか?といっていたらサークルの人にあとで「変な人がいない場所だから警戒心がないんだよ」と言われてしまった(^^;;。変な人でごめん。
さて、さっきのスコールは西海岸に強く降ったらしく、糸満に入ったら路肩が激しく濡れていた。もー、路面状態悪いんですよー。いやほんとに。しかも渋滞しやがって。東海岸は海風とサトウキビのいい道だったのにこれは嫌だな。とはいえ、しょうがない。車とせめぎあいながら生ぬるい水を跳ねとばしつつ、とにかく那覇へと走った。楽しくねぇ。しかも豊見城(とみぐすく)に入ってから那覇への道がよく分からなくなるしー。空がいかにも降りそうになってきて、稲妻何本も走るし。しかも道が分かってみると、宜野湾へ帰る国道330号バイパスは(坂こそひどくないものの)上を遮るものがないから、いつ落雷してくるか分からなくて怖いし。本土より日没が1時間近く遅いとはいえ、19時を過ぎて日も暮れてきたし。必死で走って11km, やっと宜野湾に戻れた。タコライスの野菜入りのを注文して食べて自爆氏の部屋に戻ったのが20時。出発から10時間後であった。けっこう走ったもんだ。サングラスとヘルメットで覆われてなかった下部分ばっかし焼けてしまった。

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SHIMURA Harutoki <tt67136(あっと)mail.ecc.u-tokyo.ac.jp>

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